ミステリーと戦後の「正義」 辻真先、ランキング席巻

戦前から戦後の世相を多くの作品に織り込んできた。「都合の悪いこともおぼえていないと。自分もそうだし、国全体でもそうですよね」
戦前から戦後の世相を多くの作品に織り込んできた。「都合の悪いこともおぼえていないと。自分もそうだし、国全体でもそうですよね」

作家・脚本家の辻真先(88)が書いた戦後が舞台の推理小説「たかが殺人じゃないか」が今年のミステリーランキングを席巻している。米寿を迎えたレジェンドは過去と今に何を思うのか。

「ランキングは、いいときは気にするし、悪いときは気にしない。1位というのはできすぎです」。「このミステリーがすごい!」など今年のミステリーランクで3冠を達成したベテランは泰然と語る。

その作品「たかが殺人じゃないか」(東京創元社)の舞台は、昭和24年(1949年)の名古屋。戦後の学制改革の時期だ。17歳の少年・勝利や友人の大杉は、突然新制高校3年生になり、1年間だけ男女共学の高校生活を送ることとなる。これは作家自身の経験で「大学生の時にも当時のことを『共學(がく)の記』というシナリオに書いていた」という、忘れがたい出来事だ。

「(改革の)モルモットになりましたからね。教育史の本を見て、びっくりしたんですよ、男女がにこにこしゃべっていて。そんなばかなことない。これまで女の子を見ただけで殴られていたんだから。全く別々だったものが一緒になったときの騒ぎや空気感、こっけい極まりない性教育といったら……」

ころっと変わる

特急列車は「へいわ号」、プレハブのモデルハウスは「民主1号」。進駐軍の命により、ころっと態度を変えた大人たちの姿もまた、実際に目にした。当時、辻少年が感じたものは「今のライトノベルの『セカイ系』と同じ」だと話す。

「セカイ系というのは、半径100メートルのことはよく知っているけれど、その先は地球の正義や宇宙の大義になっちゃう。それと同じで、飛んじゃうんですよ。上のほうで何か変わったらしい。こっちはいいなりになるしかない。間のぐちゃぐちゃしたものは、誰に聞いたらいいかも分からない」

今は珍しい「親指シフト」キーボード。「日本語入力に最も適している」と話す

「大人は信用できない。正義なんて、天気予報みたいなものだと、昭和20年8月15日でよく分かりました。(正午の玉音放送を挟んで)午前と午後で正義が変わる。戦後数カ月経って、15日の午後にも飛行機を作っていたのは誰かと大問題になった。まったくナンセンス、子どもから見るとお笑いですよ」

午前と午後で変わる正義。本作で勝利が遭遇する2つの殺人事件の背後には、この大きな主題が横たわる。

「主題はあるけれど、じかに『戦争反対』とは書いていない。本当に大事な主題は叫んだら、芸術じゃなくて演説になってしまう。何が正義かは88年生きていても分かりません。だけど、自分なりの見方はできないと。テレビで言っていた、なんていうのはダメですよ。カメラを1メートル横に振ったら、舌を出しているかもしれないんだから」。アニメ脚本家や作家になる以前、テレビ草創期のNHKで番組の演出をした、この人ならではの言葉だ。

尽きない向上心

少年たちの12年後、昭和36年を舞台にした作品の準備を進めている。「『たかが殺人じゃないか』は、事件がなくても主題に迫れる構造だった。次は、主題とミステリが一体になったものにしたい」と、米寿を迎えて向上心は尽きない。

ミステリー作家としてのデビューは72年の「仮題・中学殺人事件」だ。「社会派」や「新本格」といったミステリー界のさまざまな流行を目にしてきた。「はやり廃りというのは長い目で見れば海の波と同じ。波があるから海は生きている」と目を細める。

今は超能力や幽霊が登場する、特殊設定ミステリーが空前のブームだ。「はやってますねえ、特殊設定。これだけはやると、ぼくはやらない。皆さんの作品をたくさん読んで、まだこんなやり方もあるぞと示すか、ぼくみたいに、死ぬまでには読み切れないから特殊設定じゃないものをやるか、どちらかじゃないですか」

読み切れないと言いながら、日々新刊に目を通し、感想をツイッターに投稿する。「ミステリは無限の可能性があります。ただ、生命は有限です」。そう言って、いたずらな少年のような笑顔を見せた。

(桂星子)

[日本経済新聞夕刊2020年12月7日付]

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