フリーアナウンサー北村まあささん 就活苦戦、父の喝
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はフリーアナウンサーの北村まあささんだ。
――お父様は生命保険会社や投資顧問会社などに勤務していたそうですね。
「いまは独立して商社を経営していますが、ずっと金融・証券畑で仕事をしてきました。私は経済情報番組でキャスターをしているので、難しい経済用語について、よく父に教えてもらいます。すると待ってましたとばかりに、こちらがもういいよと言うまで説明をします。『父はすごいんだぞ』というところを娘に見せつけたいのでしょう」
「父は私がアナウンサーになるとは思っていなかったみたいです。3つ上の姉は成績優秀。私はどちらかというと体育や美術が得意。中学、高校、大学とバレーボールを続け、時間があるときは絵を描いていました。私のイラストを見た番組関係者に勧められ、8月からウェブメディアで地方局の女子アナウンサーの日常を描いた漫画の連載を始めました」
――アナウンサーを目指すきっかけは。
「就職活動の時期になって、バレーボール部の先輩に相談すると、『アナウンサーが向いていそうだから試験を受けてみたら』と言われました。そこで、受験対策のため学内のマスコミゼミに入りました。先生から『君は声が大きいからアナウンサーになれる』と言われ、その気になりました。しかし、東京のキー局を受けるも、すべて不合格。一般企業に行こうかと心が揺れました」
「半分冗談で、父に『楽に働いて5時に帰れる仕事ないかな』と話すと『それは絶対にだめ』と一喝されました。父は本当にやりたいことを仕事にすべきで、楽しさを感じながら仕事をした方がいいと言うのです。父自身が、雑誌編集のアルバイトをするなどマスコミに関心があったのに、まったく畑違いの仕事に就き、後悔があったのかもしれません」
――アナウンサーとして金沢のテレビ局に入社し、4年後にフリーになります。
「ここを落ちたらアナウンサーはあきらめようと、最後に受けたテレビ金沢に合格しました。夕方のニュース・情報番組のメーンMCを担当し、報道記者も務めました。仕事をするうちに、経験したことが東京でどれだけ通用するか試してみたくなりました。退社してフリーになりたいと父に告げると、ステップアップのための転職ならいいと賛成してくれました。自分も転職経験があり、私にマイナスにはならないと思ったのでしょう」
「金沢時代は、両親がよく訪ねてきました。2人行きつけのお店ができるほどです。父は私が出演する番組は必ず録画しているようです。母からはLINEで頻繁に連絡がきます。ウェブ連載の漫画についても感想を送ってくれます。見守ってくれているんだなと感じますね」
[日本経済新聞夕刊2020年12月1日付]
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