原美術館、最後の展覧会 現代アート発信した40年
2021年1月に閉館する原美術館(東京・品川)が最後の展覧会を開いている。現代美術館が珍しかった1979年に開館し、日本の現代美術を国内外に発信してきた。約40年の歩みをたどろう。
最後の展覧会「光―呼吸 時をすくう5人」は美術家の佐藤時啓や今井智己ら5人の作品を集めた。2021年1月11日まで開き、本展終了とともに閉館する(入館は事前予約制)。
個人の邸宅を転用
原美術館の建物は明治から昭和期を生きた実業家、原邦造の私邸として1938年に建てられた。GHQ(連合国軍総司令部)の接収を経て、一時は外務公館などに利用された。
美術館に変えたのは邦造の孫で前館長の原俊夫氏だ。俊夫氏は大学卒業後、留学した米国で現地の現代美術家やコレクターらと親交を深める。彼らが誇らしげに自国の現代美術を紹介するのに対し、当時の日本の美術館や博物館が収集・展示するのは古い時代の美術品ばかり。このままではいけないと自ら日本の現代美術を買い集めた。
美術評論家の暮沢剛巳は「公立初の現代美術館である広島市現代美術館より10年早く誕生し、個人の邸宅を転用したのも珍しかった」と指摘する。さらに80年から年1回開いたグループ展「ハラ アニュアル」は「若手作家の飛躍を後押しするインキュベーターのような役割を果たした」。
グループ展の選考委員は建築家の磯崎新や評論家の針生一郎らが務めた。第1回には大学院生だった川俣正(当時27歳)、第2回には岡崎乾二郎(同26歳)や戸谷成雄(同34歳)が出展。計10回に参加した100人弱には後の日本の現代美術をけん引する作家が並ぶ。
88年の第8回展にインスタレーション「時の海」を出展した宮島達男は「原美術館は80年代のアーティストを目指す当時の芸大生の憧れの的だった」と振り返る。当時、「最先端の現代アートはちょっとおどろおどろしいアンダーグラウンド的存在だった。そんなイメージを一新したのが原美術館だった」という。
「とんがってるオシャレさんが集まったオープニングパーティーの最中、私はと言えば、インスタレーションが終わらず、ボロボロのつなぎのまま、床に這いつくばってLED(発光ダイオード)のハンダ付けをしていた」(宮島)。作品は後にベニスに行き、国際的に脚光を浴びる。
日本がバブル経済を謳歌し、国際的に存在感を高めていた時代だ。現代美術も注目の的だった。80年代からニューヨーク近代美術館の国際評議員や国際美術館会議の委員だった俊夫氏は、海外の美術関係者を度々招いて紹介に努めた。
地方施設に一本化
90年代には「プライマルスピリット」(90年)、「空間・時間・記憶」(94~95年)、「倉俣史朗の世界」(96年)の3つの展覧会が欧米に巡回。日本らしい表現を集めた最新の現代美術は海外で話題を集めることになる。
ユニークな存在の原美術館には今でも多くの人が訪れる。しかし、築80年を超える建物は老朽化が著しい。改修を重ねてきたが、建築基準の見直しが進むなかで「対応には、外観が変わるような工事が必要だ」(内田洋子館長)。珍しかった現代美術の発信拠点も「今では全国に多数あり、愛好家の裾野も広がった。都市部での役割は終えた」(同)。今後は群馬県渋川市の「ハラ ミュージアム アーク」に一本化し、原美術館の常設作品も順次、移設する方針だ。
(岩本文枝)
[日本経済新聞夕刊2020年11月10日付]
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