群衆の姿に時代映る ロズニツァ監督作品、日本初公開
ウクライナのセルゲイ・ロズニツァ監督の作品が日本初公開される。スターリン時代のプロパガンダ映像を再編集したドキュメンタリーは、群衆に時代が映る。歴史を発見するのは観客だ。
1930年のモスクワ。8人の知識人が西側と結託して破壊工作をしたとして裁判にかけられた。検事の追及は厳しい。被告たちは罪状を認め、革命への献身を誓う。傍聴席や街頭の群衆は極刑を求める……。
いわゆる産業党事件。裁判の模様は「13日」というプロパガンダ映画に残された。ロズニツァはモスクワ郊外のアーカイブでその素材となったフィルムを発見。再編集したのが「粛清裁判」(2018年)だ。
ソ連の息づかい
ナレーションはなく、字幕もわずか。だが人物の何気ない表情や身ぶりを逃さず捉えた映像素材そのものが、法廷の空気を生々しく伝える。最後に字幕で産業党事件そのものがスターリンの捏造(ねつぞう)だった事実が告げられ、見る者は戦慄する。
ロシア文学者の沼野充義氏は「ある種のイデオロギーの下で社会が熱狂と幻想に包まれて進む中で、被告も権力者も大衆も、ある共通の演劇空間の中に取り込まれていく。そのさまをよく表している」と評する。
「国葬」(19年)の素材は1953年3月のスターリンの葬儀を記録した約40時間の未公開フィルム。同じアーカイブに保管されていた。
「驚くべき映画。公式フィルムには出てこないソ連指導者の素顔や息づかいが伝わる」と歴史学の池田嘉郎東大准教授。この作品もナレーションを排し、映像にすべてを語らせている。
もう一つの主役はソ連各地でスターリンの死を嘆く無名の市民たちだ。「心から悲しんでいる。偉大な指導者が死んだ。どうしようと」と池田氏。大衆は大粛清の事実をまだ知らない。
強制収容所の現在
14日公開される3本のうち「アウステルリッツ」(16年)だけは撮り下ろし。ベルリン郊外のナチスの強制収容所の今を撮るが、展示物や施設は写さず、それを見ている来場者を追う。
Tシャツ、短パンの観光客がスマホで自撮りしている。そんな群衆の姿に、歴史と現在の断層が映る。
ポピュリズムが世界を席巻する今、3作の群衆の姿に何を見るか。それは個々の観客に委ねられている。
(編集委員 古賀重樹)
監督に聞く 観客自ら考え歴史の発見を
――なぜナレーションがなく、字幕も少ないのか。
「自分にとっても観客にとっても当時の世界を自身で発見できるようにしたかった。出発点は自分は何も知らないということだ。帝国でもソ連でも、ロシアの歴史は支配層によって作られてきた」
――「粛清裁判」の参加者は捏造を知っていたのか。
「裁判は1年かけて準備され、陳述もシナリオができていた。協力を拒んだ被疑者は公開裁判なしに処刑された。この裁判をモデルに同じような裁判が開かれ、大粛清で重要な役割を果たした」
「スターリンは演劇的な芸術を利用して、政治的な目標を達成した。この映画は劇映画でもある。被告は演じている。同時にドキュメンタリー映画だ。時代を映している」
――「国葬」ではソ連各地で市民が嘆いている。
「当時の社会状況を伝えたかった。スターリンの死は大衆にとって神の死と同じだった。記録映画が当時公開されなかったのは、大衆があまりにスターリンに敬意を払っていることに残された指導者たちが驚き、恐れたからだ」
――現在のロシア国内でスターリンの評価は。
「教育やモラルにもよるが様々な評価がある。現在の政府当局は、スターリンが賢明な統治者であり、国際的に存在感があったと強調している。活躍するテレビドラマが作られ、小さな町では胸像も作られている。しかしポスト工業化時代に独裁統治は無理だ。国をさらなる荒廃に引き込む」
――よく公開できた。
「この映画は自分で考え、解釈しないといけない。頭を使う映画だ。最後の字幕がなければ、熱狂的なスターリニストも受け入れるだろう。かつて作られたプロパガンダ映画とは違う。開かれた映画だ」
[日本経済新聞夕刊2020年11月2日付]
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