色あでやかインド細密画 日本最大の畠中コレクション
インドが英国の植民地となるまで描かれていた細密画。日本画家の畠中光享氏が約半世紀をかけ国内最大のコレクションを築いた。インド美術の至宝から色彩と描線の美が浮かび上がる。
愛知県の岡崎市美術博物館で開催中(11月8日まで)の「小宇宙の精華 インド宮廷絵画」では日本最大のインド細密画コレクションを概観できる。畠中氏は「中国美術に比べてインド美術の研究は極めて乏しい。魅力を知るきっかけになれば」と話す。800点余りのコレクション中から、よりすぐりの180点強を出品している。
畠中氏は奈良の古寺が実家で子供の頃から仏教に興味を持っていた。20代後半から、仏教研究のため度々インドを訪れており、現地の美術館や博物館を巡るうちに細密画に魅せられていく。渡印は100回近くに及び、現地の美術商や欧米のオークションで購入してきた。
宮廷絵師が制作
インド細密画は16世紀後半から19世紀前半にかけて、ムガール帝国やインド中部から北西部の武人階級(ラージプト)の王国で描かれた絵画のことだ。マハーラージャと呼ばれた王侯がパトロンとなり、王国の工房に所属する宮廷絵師が制作していた。十数センチから30センチ以下の小画面が多い。絵画そのものが大切という考え方から、ほとんどの作品に絵師の署名がない。特徴は「すべてのものに対する感受性と技術、精神の浄化がなければ成しえない描線と色彩の美しさにある」と畠中氏は指摘する。
「楽器を持つ女」(1760年ごろ)は色彩の特徴がよく出ている。着飾った女性がテラスに立つ構図だ。衣装は優美な金色、庭は緑とオレンジ、空は薄いグレーに朝焼けを示す朱色で表現しており、実に多彩だ。特に画面の3分の2を占める丘を深みのある黄緑でしっかり表現して、女性や庭との色のコントラストを際立たせ、平面的な画面に奥行きを与えた。
豊かな色彩はインド周辺の鉱物資源が豊富で植物や昆虫由来の特殊な原料があったから。例えば「王の肖像」(1700年ごろ)など多くの作品に使われた鮮やかな黄色はマンゴーの葉だけを1カ月与えた雌牛の尿を炭火で煮詰め、インディアン・インペリアル・イエローと呼ばれた。臙脂(えんじ)色はベンガル菩提樹などにつく虫を潰した体液が原料になっている。インディアン・レッドといわれた酸化鉄の赤やアフガニスタンから輸入したラピスラズリの青など鉱物系も枚挙に暇(いとま)がない。
線で描く美と本質
もう一つの特徴が描線の美しさだ。「夜に音楽を楽しむクリシュナとラーダ」(1780年ごろ)はヒンドゥー教の神、クリシュナが恋人とくつろぐ場面。テラスの登場人物や森の木、池のハスなどが緻密なデッサンで描かれている。よく見ると人物の目元や口元、髪の毛の1本1本に至るまで丁寧に線が引かれている。こうした描線の美は多くの素描にも共通する。
「細密画は純粋に絵画の美しさを求めた成果であると同時にインド宮廷文化の豊かさの証左でもある」。そう話すのは、インド美術に詳しい近畿大学国際学部の豊山亜希准教授だ。「線で対象の本質を描きとることは西洋の『写実』を超え『真実』を追求するインド的美意識の表れ」だと解説する。
当時の宮廷には「絵と一対一で対話する」という鑑賞術があり、王侯貴族にとって絵は嗜(たしな)みであり、教養でもあった。絵師の優れた技術や画面の小品化は高い美意識の産物といえる。
インド細密画は西洋にも影響を及ぼした。レンブラントはインディアン・インペリアル・イエローを使っていたとされ、端的な表現はフォーヴィスム(野獣派)と呼ばれたマティスにひらめきをもたらしたという。王侯貴族の多彩な衣装の布は世界中に輸出された。
古代インドではアジャンター石窟群などで壁画が描かれ、中世には仏教やジャイナ教の経典写本に挿絵が登場した。細密画は16世紀以降、西洋などから影響を受けて盛んになったが、十分に解明されていない。西洋や中国に偏りがちな美術史で位置付けを明確にするためにも、広範な研究が欠かせない。
(浜部貴司)
[日本経済新聞夕刊2020年10月5日付]
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