規格外品の山で中国苦戦 諦めない気持ちを培うニチレイ 大櫛顕也社長(上)

冷凍食品分野ではチャーハンと唐揚げに根強い人気
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■1995年、中国で冷凍食品製造の合弁会社の設立を任される。

入社して7年間、大阪府の工場で開発や仕入れの経験を積んだ後、本社に異動しました。生産部というものづくりを担う部門です。

冷食業界は当時、労働集約型の工場を海外に移管し始めていて、ニチレイもタイや中国・上海などに拠点を構えていました。異動したころに立ち上がったのが、山東省での鶏肉加工品の製造プロジェクトです。生産部でチームが組織され、私が現地に派遣されることになりました。

最初の大仕事は、現地企業と合弁会社を設立すること。1年のうち200日程度は中国に住み、本社との連絡のために何度も日本と往復する日々でした。

■日本と中国、文化や国民性の違いに驚く。

合弁会社にいた日本人は私以外に2人のみ。まずは従業員の採用です。ただし先入観があると、日本水準の品質を理解してもらえないかもしれません。そこであえて、日本のことも食品のことも分からない人を200人ほど集めました。

山東省の煙台市は冬場にマイナス10度にも冷え込みます。とにかく寒いため手を洗ったり洗髪したりという習慣がなく、従業員の衛生管理に苦労をしました。

私の中国語レベルでは、最初はコミュニケーションすらままなりません。衛生管理の大切さを教えるために日本の工場や販売現場のビデオを見せ、理解してもらえるように努めました。

一方で、現地の方々の向上心の強さには舌を巻きました。夜になると、寮の食堂で日本語教室を開きました。ぼろぼろになった辞書をめくる姿を鮮明に覚えています。優秀な従業員は日本での商品発表や営業現場にも連れて行きました。これが大きなモチベーションになっていたようです。

■規格外品の山を作った。
おおくし・けんや 1988年(昭63年)九大農卒、ニチレイ入社。2014年執行役員、17年ニチレイフーズ社長、ニチレイ取締役。19年から現職。福岡県出身。55歳

合弁会社の設立後、商品を発売するまでには1年以上かかりました。工場で作った試作品を本社に持っていき何度もプレゼンをしたのですが、日本側が求める品質に届きません。中国で手に入る原料や調味料が微妙に違うこともあり、なかなか日本の担当者を納得させられなかったのです。

ある日、合弁会社の社長に工場の冷蔵庫に呼びつけられました。そこにあったのはボツになった規格外品の山。「君が本社から了解を取ってこられなければ、この山はずっとたまっていくんだぞ」。ハッパをかけられ、何度も味を微調整して、発売にこぎ着けました。

後にニチレイの社長に就任したとき、一緒に働いた中国人からお祝いのメールをもらいました。最後まで諦めないという信念は、当時の体験が原点です。

あのころ……

日本での冷凍食品の歴史は1920年、葛原商会が北海道森町に凍結魚の工場(現ニチレイフーズ森工場)を建設したことに始まる。87年には電子レンジの普及率が50%を超え、家庭でも冷食が一気に普及した。90年代以降は安い人件費を求め、冷食各社が海外展開を進めた。

[日本経済新聞朝刊 2020年9月29日付]


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