カジダンへの道 弁当作り、息子のダメ出しで腕磨くNPO法人コヂカラ・ニッポン代表 川島高之氏

2020/9/29

料理経験ほぼゼロだった私が息子の弁当を作るようになって10年以上がたちました。思い起こせば任されるまでの準備期間が大事だったと感じます。急に全てやるように言われたら、途中で投げ出していたでしょう。共働きの妻が上手に助走させてくれたのです。

結婚してまず、目玉焼き程度でしたが、朝食を作るようになりました。次に朝夕の皿洗い。やがて夕食を作る妻の手伝い、息子の弁当と徐々に役割を増やしていってもらったのです。その弁当も妻の作り置きしたおかずを詰めるところからのスタート。興味が出てきて自分でも少しずつ作るようになり、段階を踏んで1年後にはほぼ任されるまでになりました。

弁当の思い出も数え切れないほどできました。弁当箱は野球に打ち込んだ息子が成長するにつれて巨大化。しかも多いときはそれが2つ。まず白米2合と肉・野菜炒めを詰め、もう一つには作り置きしたキンピラ、浅漬け、果物を用意。空になった弁当箱をみる喜びは格別なものでした。

ただ軌道に乗るまでは失敗も重ねました。例えば保温弁当箱でインスタント味噌汁の肝心の味噌を入れ忘れ、お湯に具が浮いただけのものになったり、しらす丼とグレープフルーツが弁当箱の中で混じり合いなんとも言えない味になったり。調味料を入れすぎて「しょっぱい」とダメ出しされるのはしばしば。息子には「うちの弁当は色がないぞ」。確かに白米以外ほぼ茶色一色。息子の言葉は私の探究心に火を付けたのです。

新聞やレシピサイトでお気に入りをみつけては切り抜き、自前の料理ノートを作りました。冷凍のタイミングや野菜の面取りひとつで味が変わるのも実感。味付けや時短術は自分なりに試行錯誤しました。7~8割は失敗でしたが、その過程さえも楽しいものです。

弁当作りだけでなく、妻の単身赴任を機に夕食でも腕を振るう。最近は余り物を生かす料理も

妻が単身赴任になると、夕食も作るようになり、「補欠」からいよいよ朝昼晩を手掛ける「レギュラー」に。キャベツに豚バラ肉をはさんで蒸した「豚バラキャベツ蒸し」など好評を博すメニューもできました。今は漬物に凝り、様々な野菜や調味料の組み合わせを試しています。

本音を言えば、商社勤務時代も社長を担っていた頃も多忙で、料理を投げ出したくなる時がありました。でも料理上手の妻の「褒め言葉と助言」、そして息子の「完食と苦言」が私のやる気や腕を高めてくれたと思います。

最近はようやくレシピをみないで和食や中華に挑戦できるようになりました。外食に出かけて板前さんと料理談議をするようになり、人生の楽しみが増えました。

ゼロから始めた料理ですが、私にとっては家族との絆や会話、そして自分の幸福感や自立心に大いに役立っています。料理をやるようになって本当によかったと痛感しています。

川島高之(かわしま・たかゆき)
1964年生まれ。慶応大学卒業後、三井物産に入り関連の上場会社社長に。家庭と仕事の両立を実践し「元祖イクボス」と呼ばれ、講演多数。著書に「職場のムダ取り教科書」など。

[日本経済新聞夕刊2020年9月29日付]

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