戦後沖縄の矛盾と葛藤を描いた真喜志勉 初の東京個展
沖縄の美術家、真喜志勉の東京での初めての個展が開催中だ。米国の大衆文化への憧れと米軍基地問題への憤りが込められた作品は、戦後の沖縄が向き合ってきた矛盾と葛藤を映し出す。
沖縄前衛美術の先駆者といわれる真喜志は太平洋戦争が始まった1941年に生まれた。60年に米国統治下にあった沖縄からパスポートを持って東京の多摩美術大学に留学した。
篠原有司男らネオ・ダダの「反芸術」が台頭していた時代に前衛芸術を学ぶ。米ニューヨークでの1年の遊学を経て帰郷してからは、ほぼ毎年個展を開くなど精力的に活動。制作の傍ら、絵画教室「ぺんとはうす」を開いて人材育成にも力を注ぐ。2015年に急逝した。
多摩美術大学美術館(東京都多摩市)での「真喜志勉 TOM MAX Turbulence 1941-2015」(9月22日まで)は、約100点の作品を展示する。県外での大規模な個展は初という。
基地への強い抗議
漆黒に塗られた板の一部に無造作に布が貼られ、その上にV字形のモチーフが見える。作品上部に「MARINE…WIDOWMAKER」と書かれ、一部は字を消すように上から線が引かれている。2010年制作の「if…」という作品だ。
作中の単語は「海兵隊員」「未亡人製造機」といった意味だと教えてくれたのは弟の真喜志好一さんだ。「当時は米軍普天間基地の辺野古移設を巡って、滑走路をV字形に配置するか、I字形にするか議論になっていた。V字形はそれを指しているのだろう」
作家自身は作品について多くを語らなかったが、一つ一つのモチーフを考察すると基地への強い抗議が伝わってくる。生前には「沖縄は矛盾に満ちている」と話し、生涯、その矛盾と向き合い続けた。
72年に沖縄が本土に復帰した際に現地で開いた「大日本帝国復帰記念」展。硫黄島に星条旗を掲げる米兵の写真を日の丸に描きかえ、東条英機の肖像とともに、シルクスクリーンで転写して壁一面に敷き詰めた。アンディ・ウォーホルを思わせるポップな手法とは対照的な重いテーマだ。
同年にニューヨークに渡り、皿洗いやトラック運転手をしながら大好きだった本場のジャズを全身で味わう。再び戻った故郷で待っていたのは、本土復帰後も基地から逃れることができない現実だった。
米への憧れと憤り
79年に発表した「LEFT ALONE」では、ヘルメットを片手にした兵士と思われる男性の後ろ姿と、ハンガーが描かれる。元沖縄県立博物館・美術館の学芸員で、本展の共同企画者である町田恵美さんは「大量生産されるハンガーは消費文化の象徴。ベトナム戦争が終わって間もない時期であり、寂しげな男性の姿は兵士でさえ使い捨てのように消費される存在だと示している」と指摘する。
晩年は、丁寧に描き込まれた輸送機オスプレイの機体の下に、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World(この素晴らしき世界)」をもじった「WHAT A WILD WORLD OKINAWA」と記し、皮肉を表した。
豊かな米国文化への憧れと、いまだ実質的に米国支配下に置かれている現状への憤り。沖縄だけでなく、本土に生まれ育った人でも、日本人の多くが戦後に抱えたであろう葛藤、二律背反がそこにはうかがえる。真喜志は、そうした米国への「相反する感情を抱きながら、アメリカ美術の手法を持って沖縄の現状を描き続けた」と町田さんは評している。
(岩本文枝)
[日本経済新聞夕刊2020年8月25日付]
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