「歴史偽書」研究本、相次ぐ 執筆の狙い・背景に迫る
特定の目的で偽作された歴史的文書「偽書」をめぐる本が相次いでいる。自治体史に引用された史料を偽書と指摘したり、様々な時代の偽書を紹介したり。その生まれる背景に迫っている。
近畿地方の貴重な史料として自治体史などにも活用されてきた中世の絵図や系図、手紙。しかし、それらは江戸後期の国学者、椿井(つばい)政隆による偽書だった――。大阪大谷大学准教授の馬部(ばべ)隆弘氏は今年3月、そんな衝撃的な著書「椿井文書」(中公新書)を出した。
利害対立を有利に
「椿井は(畿内5カ国の地誌)『五畿内志』を参考にしたが、そこで『在所未詳』だった朱智神社を現在の京田辺市に現地比定し、関連史料を次々と創作した。『朱智』という文言が入るものは椿井文書とみなせる」と馬部氏。嘉吉元年(1441年)の奈良・興福寺の末寺を列挙したとされ、多くの研究者が認めてきた「興福寺官務牒疏」もその一つとなる。
椿井文書は近畿地方に多数存在する。山城国椿井村(現・京都府木津川市)出身の椿井は共同体の利害が対立する場面にしばしば登場。地域の中核である寺社に関連づけ、論争を有利にする文書を作った。
その一つで、奈良期の貴族、橘諸兄の建立とされる井手寺が存在した当時の姿を描く「井堤郷旧地全図」は、京都府綴喜郡井手町の古代・中世を物語る史料とされてきた。こうした中世以前の文書を近世に模写したという形を取るのも特徴だ。
「椿井文書には(改元の年だが改元前の月を記す)『未来年号』がよく出てくる。偽作が発覚した場合、遊びで作ったと言い訳にするためだろう」と馬部氏。「江戸後期に偽作されたとの前提で、共同研究を進めていけたら」と話す。
同じく3月刊行の「偽書が揺るがせた日本史」(山川出版社)では、歴史研究家の原田実氏が「椿井文書」を含む多くの偽書を取り上げ、時代時代の日本人の思考を探った。「偽書にも幾ばくかの真実が含まれるから容認してもいいのではとの思いもあったが、今は偽書は偽書と明確にしなくてはいけないと思う」と原田氏。その上で偽作者や受け入れる側の心理を考えるようになったという。
観光資源に利用も
「地域の観光資源として利用された偽書」の例として、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が一夜にして築いたとされる「墨俣一夜城」の逸話を含む「武功夜話」(前野家文書)を挙げる。真偽をめぐる議論は今も続くが「昭和後期の偽作」と明確に位置づけた。木曽川の流路が今と同じだったり、当時の尾張にはなかったはずのサツマイモを食べる場面が登場したりするからだ。
原田氏も同書で取り上げた「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」(和田家文書)をめぐる本も相次ぎ刊行された。古代の津軽に荒吐(あらはばき)族の王国が存在し、大和朝廷と対立していたという内容だが、以前から偽書とされてきた。
2019年3月には偽書騒動を追った地元紙・東奥日報の記者、斉藤光政氏による「戦後最大の偽書事件 『東日流外三郡誌』」の文庫新装版が集英社から刊行。同年12月にはノンフィクションライター、藤原明氏が「偽書『東日流外三郡誌』の亡霊」(河出書房新社)を出した。偽書と判明しても不思議と人々を引き付ける背景を探った。
「江戸後期や終戦後など人々が自らの由緒を求めた時期に偽書は増える傾向がある」と歴史学者で東京大学名誉教授の五味文彦氏は話す。その上で「偽書は作られた時代の空気を色濃く映し出す。もちろん偽書と見抜くのが前提だが、時代的背景を探る意味は大きい」と指摘する。偽書研究は時代精神を読み解くという新たな段階を迎えた。
(編集委員 中野稔)
[日本経済新聞夕刊2020年8月18日付]
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