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理研と富士通によるスパコン「富岳」の4冠達成会見は、オンラインで行われた(6月23日、神戸市中央区)

理研と富士通によるスパコン「富岳」の4冠達成会見は、オンラインで行われた(6月23日、神戸市中央区)

■2005年に担当部長として大銀行のシステム統合に携わる。

名門3行が合併して発足したメガバンクの、次期システム開発に加わりました。入出金などを管理する勘定系と呼ばれるシステムで銀行業務の心臓部です。もし障害が起きたら顧客への影響も計り知れません。

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担当になって驚いたのは、銀行システムの巨大さです。開発には高度な技術が求められ、安定性の面から大手IT(情報技術)ベンダーが丸抱えで受注するのが通例でした。莫大な開発費が動く銀行システムの受注は、我々ベンダーにとって譲れない仕事でした。

長年3行のシステムを引き受けてきたベンダー3社を含む4社で、1システムの開発を分担するという異例の構図です。各社の綱引きが過熱していきました。

■沈黙の会議が続いた。

銀行と各ベンダーが一堂に会し、会議を重ねました。各行のシステムを長年支えてきたという各ベンダーのプライドもあり、交渉は一向に進みません。各社が口を開かない、我慢比べの会議が続きました。

銀行システムの稼働を記念したパーティーには最優先で駆けつけた(中央が時田氏)

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プロジェクトでは他社がハードウエアを開発し、アプリケーションを富士通が作るという分担も生まれました。当初は決定に納得がいかず「こんなことなら撤退させてほしい」と、当時の上司に向かって語気を強めたこともありました。

プライドがぶつかり合う会議を束ねたのが、仕切り役だった銀行幹部の言葉でした。「背番号を外して皆でやりましょう」と口癖のように繰り返すのです。心の中で「俺は富士通だ」という思いはありましたが、難しいプロジェクトだけに、その言葉に大いに共感したことを覚えています。

04年の構想開始から、約10年を経て次期システムの構図が固まりました。気の遠くなるような交渉を引っ張り続けた銀行には、頭が下がる思いでした。

■突然の辞令でロンドンへ赴任する。

いよいよ試行テストという17年の秋、ロンドンへの赴任が言い渡されました。集大成を見届けられない悔しさのなか、海外のITサービス事業を統括する責任者となりました。

海外から見た富士通は、10年前の会議の風景とうり二つでした。優れた技術やソリューションを持っているのに、それをうまく統合したり、価値に変えたりできていないのです。

社長になってから、カルチャー面を含めた社内改革に取り組む原点はここにあります。異なるものを一緒にしようとすると、時にぶつかり合いが生じます。しかし、それを乗り越えた先にしかイノベーションはないと感じています。

あのころ……

2000年代に入ると半導体やパソコンなどハードウエアの分野で韓国や中国のメーカーが台頭し、富士通も苦境にさらされた。経営資源をソフトやサービスに集中させて構造改革を急ぐ一方、欧米のITサービス企業の買収なども進めた。

[日本経済新聞朝刊 2020年7月14日付]

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