SE束ね「一番風呂」挑む 前例ない大規模システム構築富士通 時田隆仁社長(上)

■入社5年目で大規模システム開発のリーダーに選ばれる。

システムエンジニア(SE)として中堅生命保険会社に常駐していた時、大規模システムの構築プロジェクトが立ち上がりました。約1500カ所の営業拠点をつなぎ、いわゆる「生保レディー」4万人にパソコンを配備します。同社の営業改革につながる最初のシステムでした。

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その生命保険会社には先見の明があったのでしょう。他社製品と互換性を持つ汎用サーバーを用い、基本ソフト(OS)としてウィンドウズを使いたいとの打診を受けました。しかし当時の富士通には要望に応えられる製品がなく、業界でも前例はありません。

それでも、「一番風呂に入る」との覚悟を示した富士通が開発を受託しました。営業が勝ち取った契約を形にするのがSEの仕事です。社内の複数部署を巻き込むプロジェクトでしたが、常駐していた私が思いがけずリーダーに選ばれました。

■任せることの大切さを学ぶ。
ときた・たかひと 88年(昭63年)東工大卒、富士通入社。15年執行役員、19年3月副社長。同年6月から現職。東京都出身。57歳

私の役目は常駐していた生保会社の考えを、システムに反映させること。持ち帰って富士通の開発部隊に伝えるわけですが、同じ会社とはいえ部長などとやり取りするのは気後れします。そんな時には、入社時に人事担当者にかけられた言葉が支えになりました。「SEはオーケストラで言えば指揮者だ」と。

当時の上司がプロジェクトメンバーを集め、「時田がリーダーだ」と宣言してくれたことにも感謝しています。富士通ほどの大企業では、意識して権限を委譲しない限りいつまでもリーダーが育ちません。とにかく任せることが重要だと考えていたのでしょう。

開発に3年をかけ、最後は1カ月お客さんにつきっきりで対応しました。かつてないものを作るという高揚感でチームがまとまる喜びは格別でした。

■トラブル対応にも奔走した。

1997年、同じ生命保険会社のシステムが1週間停止しました。営業職員が利用するデータが届けられないとあって、業務に多大な影響が出ました。

朝昼晩、1日3回開かれる会議で常駐先の幹部に復旧状況や原因説明を求められ、泊まり込みで調査とリカバリーにあたりました。トラブルから3日目、解決への光が見えるまでは生きた心地がしませんでした。

そうした中で、99年に課長になりました。入社時に花形だった金融業界は、10年を経て厳しい状況に陥っていました。外資による買収も相次ぎました。予測のできない激動の時代で、大合併に伴う銀行システムの統合に携わることになります。

あのころ……

1990年代、IT(情報技術)業界では大型汎用機(メインフレーム)中心から、小型サーバーやパソコンに主役が移り、米マイクロソフトや米インテルの台頭につながった。富士通も90年に英コンピューターメーカー、ICLの株式を取得し、グローバル企業へと踏み出した。

[日本経済新聞朝刊 2020年7月7日付]

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