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ロームは21年に福岡県にSiC(炭化ケイ素)半導体専用の工場を新設する。写真はイメージ

ロームは21年に福岡県にSiC(炭化ケイ素)半導体専用の工場を新設する。写真はイメージ

■成功体験の全社展開を目指すが、挫折を経験する。

1997年、世界標準の半導体製造プロセスを主力のLSI(大規模集積回路)部門に展開する担当になりました。全社の様々な事業部から優秀な人材が集結し、部下が一気に6倍の60人に増えました。ただ、部下は40~50代の年長者ばかり。周りから白い目で見られ、理解を得られないことが多々ありました。

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縦割りの弊害にも苦しみました。ロームは個々の部門の独立性が高く、製造プロセスも様々です。形式上は全社共通の組織でも、屋上屋を架すような形になりうまくいきません。

私はそれまで大きな組織を束ねた経験も能力もありません。片意地を張って上から管理しようとして空回りし、全く成果に結びつきませんでした。白髪も増え、吹っ切れない日々が続いていました。

■国家プロジェクトに参加し、結果を残す。
タイ洪水ではフィリピン工場のバックアップ拠点化を指揮した(前列右から2番目)

タイ洪水ではフィリピン工場のバックアップ拠点化を指揮した(前列右から2番目)

成果に結びつかず悩んでいる私を見かねた上司が勧めてくれたのが、2001年に立ち上がった「あすかプロジェクト」でした。

半導体で米国勢や韓国勢に大負けし始めたことに政府が危機感を抱き、最先端技術の開発をオールジャパンで進めることにしたのです。NECや東芝など11社から、研究者肌の個性派たちが集められました。

任されたのは、その後主流になる最先端の300ミリウエハーに対応した、全く新しい配線工程の開発です。チームのリーダーになりましたが、材料選びなどゼロからのスタートです。成果を残すには協力を求める姿勢が欠かせません。

出向時に会社員人生をリセットしていたからでしょう。メンバーには片意地を張らずに素直に接することができ、仲間づくりが成果につながることを学びました。新しいカッパー配線を使った構造を作り上げ、実際にグループとして学会発表までこぎ着けました。

■工場の組織再編でコミュニケーション力を生かす。

出向から戻り、07年にローム浜松の再編を命じられました。ヤマハから買収した工場でしたが、規模が拡大し現場が混乱していました。真っ先に現場に向かい、300人ほどのエンジニアと面談しました。その後に配属されたフィリピン工場でも現地スタッフとの対話を重視しました。この経験は11年のタイ洪水時、フィリピンをバックアップ拠点にする際に生きました。

挫折を経験して10年あまり。私の働き方は大きく変わりました。いろんな経験が財産になると若手には言っています。

あのころ……

1990年代後半以降、日本の半導体産業は米インテルや韓国サムスン電子の後じんを拝すことになった。99年には日立製作所とNECがDRAMを中心に「エルピーダメモリ」を立ち上げ、2003年には同じく日立と三菱電機の「ルネサステクノロジ」が誕生した。だが抜本的な競争力回復にはつながらなかった。

[日本経済新聞朝刊 2020年6月30日付]

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