紛争下の中東で顧客サポート 張り詰めた2週間出張
荏原 浅見正男社長(下)
イスラエルでの顧客サポートも経験した(手前左から3番目)
1999年に事業推進課長に就任し、全世界の半導体製造装置を担当することになりました。当時の課題は、台頭する海外の半導体メーカーへの対応です。荏原は信頼性が高い装置を日本メーカーに売ることを得意としていましたが、海外顧客へのサポート力が不足していたのです。
どうすれば海外勢に振り向いてもらえるのか。意識したのは国内外の社員を巻き込んだ体制の構築です。当社の拠点に顧客を招き、実際に素材を削ってもらいます。その後、試作や量産などのステップも見てもらうのです。スムーズに進めるには、各部門の協力を得ることが大事でした。
同じ荏原でも設計や技術、子会社など部門ごとに論理が異なります。そのなかで大事にしたのが「顧客の状況を把握し、解決策を探る」という基本原則です。会議が紛糾すると「顧客を満足させないと意味がない」という言葉で同じ方向を向かせました。
ある米国の顧客からは、タイトなスケジュールで生産立ち上げを求められました。利用したのは「時差」です。現地の夕方に言われたことでも、日本時間でなら朝から対応できます。生産や設計、営業の部署を巻き込んでタスクフォースを立ち上げ、米国時間の翌朝までに回答を用意して打ち合わせに臨むという体制を整えました。
ある顧客から「『最安値』と言っていたのに他社の方が安かったじゃないか」と怒られたことがあります。発注量や仕様が異なるため理不尽だと感じたのですが、相手の視点に立つとその理由が見えてきます。
半導体メーカーは競争が激しく、2年に1度新製品を出さないと生き残れません。眠気を我慢しながら当社の話を聞いてくれる顧客の姿を見たとき、徹底的にサポートしなくてはという意識が強まりました。
印象に残っているのがイスラエルの顧客対応です。納入した装置が想定通りの性能を出せなかったため、私が現地に出向いたのですが、パレスチナ情勢が悪化して緊張を強いられました。危険を避けるため2週間近く、工場とホテルを往復する生活が続きました。試行錯誤の末に装置が順調に稼働したときの顧客の顔は忘れられません。
様々な国や人の考え方を体感することは会社の成長にもつながります。半導体業界で日本の装置メーカーが生き残ったのは、厳しい競争にさらされる顧客をサポートしきっていることが一因だと考えています。
あのころ……
2000年代になると、韓国のサムスン電子が半導体のシェアを伸ばした。設備投資の巨額化に伴い中国や台湾などの受託生産会社も台頭した。一方で日本の半導体メーカーの存在感は薄まり、再編が相次ぐようになった。