ジャズ、新時代へ 黄金期の大物プレーヤー相次ぎ逝く
今春、ジャズの黄金時代を彩った大物音楽家の訃報が相次いだ。新型コロナウイルスで亡くなった人も多く、ジャズ界は大きな転換期を迎えている。音楽評論家の佐藤英輔氏が解説する。
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もし彼らがいなかったなら、ジャズの動向は少し変わっていたのではないか。そう思わせる、実力者の訃報が続いている。
照らし続けた王道
たとえば、自宅で死去したピアニストのマッコイ・タイナー(1938年12月11日~2020年3月6日)。彼はジョン・コルトレーンの1960年代前半の表現を支える奏者として世に出て、その後のソロ活動における詩情とダイナミックさを併せ持つ指さばきは多くの後続たちの指標となった。2歳年下のハービー・ハンコックはこだわりなく電気キーボードも弾いたが、タイナーはピアノという楽器と向き合い、ジャズ王道を照らし続けた。そうした様から厳格なイメージを受けるが、取材をすると豪放磊落(らいらく)な人物で、対する者を無条件に和ませるようなところが彼にはあった。
米ニューオーリンズに居住し続けたピアニストのエリス・マルサリス(1934年11月14日~2020年4月1日)も亡くなった。ブランフォードやウィントンらの父親である彼は、演奏家として以上に教育者として知られる。父親を超えた実績を持つ息子たちは当然のこと、テレンス・ブランチャードやハリー・コニックJrら彼の教えを受けた同地出身の大物は何人もいる。ニューオーリンズが今もジャズの根本にある土地との見方がされるのは、彼の功績が小さくないはずだ。
また、リー・コニッツ(1927年10月13日~2020年4月15日)もジャズ史に大きな足跡を残す。アルトサックス奏者である彼は個性派ピアニストのレニー・トリスターノとの付き合いを通じて、静謐(せいひつ)ながら溢(あふ)れ出る感覚を抱えるジャズを送り出した。白人的な洒脱(しゃだつ)さを前に出すそれは、クールジャズという呼称とともにジャズ史で異彩を放つ。そんな彼は、2013年と17年の東京ジャズに出演。新鮮な綾(あや)のようなものを会場に満ちさせた。
個性発揮へ創意
それから、ジャズからロックまで驚くほど幅広い人脈を使い、ポップ音楽と並走する同時代のジャズ表現を多々送り出したプロデューサーのハル・ウィルナー(1956年4月5日~2020年4月7日)も亡くなった。彼が名声を得たのはニーノ・ロータ、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガスらの個別アーティストをテーマに置いた、様々な担い手たちが個性を発揮しあう創意ある編纂(へんさん)盤の制作だった。そこには、ジャズ精神の興味深い拡大が横たわる。博識広聞な彼はアルバム制作だけでなく、視点のある公演も多数企画した。
他にも、フリージャズの名ベーシストであるヘンリー・グライムス、マイルス・デイヴィスの1959年の代表作「カインド・オブ・ブルー」で叩(たた)く名ドラマーのジミー・コブらも、同時期に鬼籍入りした。うち、マルサリス、コニッツ、ウィルナー、グライムスは新型コロナウイルスが死因と発表されている。
ウィルナーを除いては、みんな享年80を超える。それは1950~60年代のジャズ黄金期を支えた偉才たちが少なくなってきていることを示し、ジャズのメインストリームの変化をさらに導くだろう。だが、面々が残した録音物は今も意義を持ち、それらの先に今後のジャズが広がっていくのも疑いがない。そして、その際にはウィルナーが提出した、他要素を触媒とするジャズ創出のあり方も重要な作法となるはずである。
[日本経済新聞夕刊2020年6月16日付]
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