「私はコロナ感染者でないのに」 なぜデマは広がる?
コロナ禍を機にSNSなどでデマが飛び交う。記者は小学生だった1973年の石油危機時に大人がトイレ紙を求めて列をなしたのを覚えている。なぜ人々はデマに踊らされるのか。
静岡市のねじメーカー「興津(おきつ)螺旋(らせん)」の柿沢宏一社長は2月末、自分が新型コロナウイルスに感染しているというニセ情報がネット上で拡散していることに気づいた。全くの事実無根。柿沢さんは自身のツイッターで否定するメッセージを発信したが収まらず、顧客との打ち合わせをキャンセルするなど行動を自粛せざるを得なかった。
発端は2月に集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」だ。下船した静岡市の男性が感染したとの情報から、柿沢氏が疑われたのだ。同社にも「お宅の社長がウイルスをばらまいている」との嫌がらせ電話が相次いだ。「ニセ情報が知らぬ間に広がるのは本当に怖かった」と同社の担当者は話す。
なぜデマや流言が起こるのか。米国の心理学者オルポートとポストマンが発見した「噂の法則」では、流言の量は「i(重要性)」×「a(曖昧さ)」の積で決まるという。「多くの人が同じことに関心を寄せる社会的な危機の際にデマが広がりやすい」と中央大学の松田美佐教授(メディア論)は説明する。
最近はスマートフォンやSNSの普及でより拡散しやすくなっている。情報をツイートやリツイートする人は善意で発信しているのかもしれないが、不安をあおる結果を招きかねない。「情報を『シェアすることはいいこと』と安易に考えるのは怖い。情報を『正しい』と早合点して転送するのは慎むべき」(松田教授)
大阪電気通信大学の小森政嗣教授(情報学)らの研究によると、SNSで多くのフォロワーがいる「ハブ(中核)」的な人は「恐怖」が強く感じられる情報を拡散させやすいことが分かった。共同執筆者の慶応大学の平石界教授(社会心理学)は「ハブ的な人は情報が真実か、厳格な検証が求められる」という。受け手も出所を確かめもせずに反射的に反応するのは禁物だ。
ただ、トイレ紙のように最初は単なる噂にすぎなかったのが、多くの人が買い占めで品薄になると予測し、同じような危機回避行動を取ったためにウソが現実化することがしばしばある。
トイレ紙の買い占めが初めに報道されたのは九州だった。SNSやテレビで瞬く間に拡散し、全国で同じような光景が見られるようになった。政府やトイレ紙業界が「原料や在庫は十分」と訴えても火は止まらなかった。
主に首都圏の1都3県でスーパーを展開するオーケー(横浜市)でも2月末からトイレ紙が品薄になり1人1点に購入制限。「5月の連休明けに供給が追いつき、買いだめも一巡して点数制限を緩和している」(担当者)
ツイッター社は誤解を招きかねない投稿に事実を確認するよう促す警告メッセージを表示し始めたが、ニセ情報が「現実化」の方向に振れ始めたら、人々の行動を変えるのは並大抵ではない。
デマ・流言の歴史を研究する京都大学の佐藤卓己教授は「ウイルスが根絶しないのと同様、デマは人間が生活する限り、なくならないし、なくせない。共存していくしかない」と指摘する。
デマは自ら「デマ」と称して広がることはない。最初は噂や曖昧情報として存在する。「人々は自分がより説得的だと思う情報を乗せ、尾ひれがついてデマに育つ」(佐藤教授)。人々が不安やストレスを解消するために行ったコミュニケーションの産物だ。
むしろ、噂や曖昧情報は役立つ情報を構築する素材と考えれば、接し方も変わってくる。トイレ紙が品薄という噂なら「今の高い値段で買うのは長期的には高くつくので購入を延ばすことが可能か考えられるようになれば、結果的に曖昧情報に振り回されない」(佐藤教授)。私たちの情報への向き合い方が問われている。
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日ごろの備えで動じぬ心
トイレ紙の買い占め騒動は1973年の石油危機の際にも起きた。「トイレ紙がなくなる」というデマが品薄に拍車をかけた。情報が不足しその真偽も分からずに人々が振り回されるのは、自然災害発生時に買い占めや買いだめが広がるのとよく似ている。
米やパスタなど基本的食材を1カ月分備蓄する「家庭内流通備蓄」を提唱するのは危機管理教育研究所(東京)の国崎信江代表だ。置き場所がなければベッド下などデッドスペースを使えばいい。「日ごろから備えているという事実があれば買い占めにも動じない」と国崎さんは話す。
(木ノ内敏久)
[NIKKEIプラス1 2020年5月23日付]
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