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■1987年、上野金太郎社長(55)はメルセデス・ベンツ日本に新卒1期生として入社した。

会社設立の翌年に入社し、乗用車営業部に配属されました。発注や輸入、通関、中古車販売などあらゆる業務を任されました。

(下)「調整役」を卒業 新しい仕組みづくりで上司と衝突 >>

もともとマーケティングなど華やかな職種を志望していたため、現場に配属されるのは予想外でした。泥臭い仕事ばかりの毎日で、やめたいと思ったこともあります。しかし今から振り返ると、インポーター(輸入業者)としてのノウハウは全て、現場で学んだ気がします。決して無駄な日々ではありませんでした。

■98年に課長となり、3つの課を率いる。
うえの・きんたろう 87年(昭62年)早大社学卒、メルセデス・ベンツ日本入社。03年ダイムラー・クライスラー日本取締役、03年常務。12年から現職。東京都出身。

うえの・きんたろう 87年(昭62年)早大社学卒、メルセデス・ベンツ日本入社。03年ダイムラー・クライスラー日本取締役、03年常務。12年から現職。東京都出身。

会社が急成長するなかでチャンスが訪れました。入社12年目で課長に昇格。社長室内の企業広報課、カスタマーデスク課、エグゼクティブ・アシスタンス課と3つの課を束ねることになったのです。当時、私は33歳。社内には時期尚早と思う人もいたようで、冷やかされることもありました。

若かったのでしょう。仕事を進める上で先輩とぶつかることもあり、社内で目立つ存在だったようです。

そんなある日、人事部長に呼び出されて「課長になったら、おまえはもう会社の人間ということだからな」とくぎを刺されました。それまでも会社のために働いていたつもりでしたが、自覚が足りなかったのかもしれません。課のリーダーとしての責任を果たすため、振る舞いには気をつけるようになりました。

3種類の課長の名刺に加え、全ての役職が書かれている4枚目の名刺を常に持ち歩いていました。3つの課長をどうやって掛け持ちしていたのか。今となっては不思議ですが、とにかく必死で働きました。

■課長1年目に独ダイムラーが米クライスラーと合併。報道対応に追われる。

98年にメルセデス・ベンツを手掛けるダイムラーが、クライスラーと「世紀の合併」に踏み切りました。直後の99年1月、東京で開かれた展示会にダイムラーのユルゲン・シュレンプ共同最高経営責任者(CEO)が出席することになったのですが、私にとってはまさに修羅場でした。

ダイムラーは当時、日産自動車と提携交渉を進めていました。シュレンプCEOの動向は注目の的となり、報道が過熱。企業広報の課長だった私には、記者から問い合わせが殺到しました。あまりに多くて、携帯電話がパンクして故障したぐらいです。

臆測を含め多くの情報が流れ、そのたびにドイツに確認する必要がありました。情報を扱うことの怖さを思い知ったのはこのときです。

あのころ……

国内の輸入車市場は1985年から急成長期を迎える。物品税廃止、自動車税減税など一連の税制改正などで非関税障壁が撤廃されたことや海外メーカーの積極的な日本進出により、88年には13万3千台と初めて10万台を突破。90年には22万1千台と急拡大する。

[日本経済新聞朝刊 2020年4月14日付]

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