営業全員に毎日声かける わずかな変化見逃さずアサヒビール社長 塩沢賢一氏(下)

「スーパードライ」の販売好調で息を吹き返した(写真上段の左から4人目が塩沢社長)
「スーパードライ」の販売好調で息を吹き返した(写真上段の左から4人目が塩沢社長)
■1995年1月、大阪府吹田市の社宅で阪神大震災に遭い、被災した。

震災前日に家族サービスで、神戸の中華街を訪れました。高架が横倒しになった高速道路も利用していましたから、万が一、時間がずれていればと思うとぞっとしましたね。家族は無事で、当日は出社可能な社員は出るようとの指示に従い、近くに住む社員で車を乗り合わせて行きました。

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支社のある大阪市と震源に近い神戸市では被災の深刻さが違っていました。大阪市内の店舗は無事でも、店主や従業員の住まいが兵庫県内という方も多かったのです。被災した店主と電話が通じた際、「こちらは大丈夫だ」と聞いて一安心していました。しかし実際には生きていて無事だという意味で、けがをしたり、家を壊されたり、大変な思いをされていました。電話口では私たちを不安にさせないよう気遣っていたことに気づき恥じ入りました。

しばらくして復旧や復興のために土木、建設業の方々が全国から大阪府や兵庫県に集まってきました。前向きな機運が生まれ、飲食店がじわりと活気を取り戻していく姿を感じました。

■96年、4年間の大阪支社勤務を終えて東京に戻った。

東京北支店長を2年間、次に東京南支店の支店長をやりました。営業マンは10人でほとんどが入社5~6年目。現場を預かる責任の重さを感じました。

3チームに分けて、1週間の営業活動の計画や報告をきめ細かく聞く仕組みにしました。だんだんと店主とのコミュニケーションが深まり、ビールを他社から切り替えてもらえるかもしれないという声が上がるようになってきました。

■営業マン全員に毎日1回は声を掛けることを心がけた。

話せば体調や気分などが分かるものです。営業現場は情報を隠されることが一番困るのです。鬱陶しいと思われていたかも分かりませんが、社員から話しかけやすい雰囲気にすることを心がけました。思い悩んでいる社員には「今、何やろうとしているの」と話すと、暗い表情が少しずつ明るくなっていきました。

営業マンの頭の上には出刃包丁がぶら下がっている。あくまで例え話ですが、常に緊張感を持つことが良い仕事を生むという姿勢の大事さをよく話しましたね。いつ、どこで他社に奪われるかも分からない。

私も若い頃、他社に奪われたことがありました。情報の行き違いがあったため、その後の対応にもご納得いただけませんでした。勘を働かせて変化を見逃さないことが大事だと、今も思い続けています。

あのころ……

1990年代後半のビール系飲料市場は阪神大震災の95年を除き高水準だった。出店地域の人口や店舗どうしの距離などで決まっていた酒販免許の規制が緩み、2006年に完全自由化された。コンビニなどでも販売できるようになり、一部の酒販店で業態転換が進んだ。

[日本経済新聞朝刊 2020年4月7日付]

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