中島みゆき・ももクロ… 世代超える瀬尾一三の編曲術

「生演奏が一番いい」と語る瀬尾
「生演奏が一番いい」と語る瀬尾

吉田拓郎や中島みゆき、徳永英明らを手がけたヒットメーカー、編曲家の瀬尾一三(72)が音楽活動50年を迎えた。数々のスタンダードソングを生み出した独自の編曲術を聞いた。

かまやつひろし「我が良き友よ」、杏里「オリビアを聴きながら」など1970年代のヒット曲から、2014年のももいろクローバーZ「泣いてもいいんだよ」まで、様々なタイプの曲を編曲してきた。手がけた楽曲は2800曲余り。

「ゼロを1にする、つまり無から有を生み出すのが作詞・作曲家やシンガー・ソングライターの仕事。楽器編成やイントロ、間奏などを考え、1を10にするのが編曲家。いわば加工業者ですよ」と瀬尾は語る。

映像でアレンジ

編曲には楽器を使わない。「僕は映像でアレンジするのです。歌詞や旋律のイメージから頭の中で物語仕立ての映像を作り上げ、それに合わせて音楽を発想していく。だから五線紙とペンがあればいい」と独特の編曲法を明かす。

様々なタイプのヒット曲を手がけた

出世作は、吉田拓郎のライブアルバム「よしだたくろう LIVE'73」で初めて発表された人気曲「落陽」だ。港での別れの情景を描いた曲だが「あれも完全に映像から発想しているんです」と振り返る。

哀愁に満ちたエレキギターのイントロは「出航するフェリーの上空を飛ぶカモメの鳴き声」だ。後半、ギターの音だけになるところがある。「夕日が水平線に沈む場面です。瞬間を1枚の静止画のように切り取りたかった。そんなことを考えるのが楽しいんです」

映像から発想する編曲のルーツは「少年時代の音楽体験」にあるという。「祖父が映画館をやっていました。様々な映画が3本立てで上映され、映画をやらない時は旅回り一座の芝居も上演していた。それが僕の日常だったのです」

「スランプに陥った時期があります」。80年代、コンピューターによる曲作りが台頭してきた頃だ。「時流に乗ろうと頑張っていたら、自分の引き出しが空っぽになってしまった」。流行を追わず、スタンダードを志向するようになって低迷を脱する。「スランプ時は映像から発想することを忘れていました。スタンダードを意識したのは徳永英明君がきっかけです」

徳永の「壊れかけのRadio」(90年)も映像から発想した。「古ぼけた洋館に少年が入り込み、屋根裏部屋でラジオを見つけて……。頭の中では細部まで映像化されているんです」

88年以来、30年以上にわたってタッグを組んでいるのが中島みゆきだ。「普遍的な曲を作ろうという思いを共有できる作家です」と語る。アルバム「EAST ASIA」(92年)の収録曲として作った「糸」はカラオケでも人気のスタンダードソングになった。

「男女の巡りあいを描く歌詞は普遍的で素晴らしいのですが、生身の女性が歌うと生々しすぎると感じて、中島みゆきを天女にしてしまおうと考えた。イントロに雅楽風の音やハープを入れ、東西の神話的な雰囲気を出し、地上の人間たちに向かって歌うような感覚を表現したのです」

演奏と歌同時に

レコーディングの方法も独特だ。編曲を終えると「プリプロ」と呼ばれる仮音源を作って歌手や演奏家に聴かせるのが普通だが、瀬尾は作らない。歌手や演奏家はレコーディングの時に初めて譜面を渡され、どんな編曲か知ることになる。

しかも歌手は演奏家たちと「せーの」で息を合わせて歌い、演奏と歌を同時に録音するのが瀬尾方式だ。今は伴奏のカラオケを先に作るのが一般的だが「ジャズの即興と同じで、演奏家と一緒に歌うことで生まれる高揚感、熱、化学反応こそ音楽の醍醐味」という。

「音楽の感動は、熱が伝わるから生まれる。つまり生演奏が一番いい。近年CDに比べてライブ市場が活況なのは、聴き手にもそれが分かってきたからでしょう」と語る。

(編集委員 吉田俊宏)

せお・いちぞう
1947年兵庫県生まれ。100を超すアーティストの編曲やプロデュースを手がける。このほど自伝「音楽と契約した男 瀬尾一三」を発表。写真は東京・世田谷のバーニッシュストーン・レコーディングスタジオで。

[日本経済新聞夕刊2020年3月23日付]

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