太宰治も開高健も町田康も お酒と文学はなぜ親しい?
酒と文学の関わりをつづった本が相次いでいる。作家の酔い方を紹介し、酒にまつわるエッセーやマンガを収める。中には断酒経験を描いた本も。酒は創作の糧か、それとも邪魔者か。
酒と文学と聞いて、まず思い出すのは太宰治、坂口安吾ら無頼派と呼ばれた作家たちだろう。「坂口安吾全集」(筑摩書房)の編集に関わった文芸評論家の七北数人氏は「泥酔文学読本」(春陽堂書店)を2019年5月に出版した。安吾をはじめ作家の酒との向き合い方を小説や短詩、エッセーなどから探ったものだ。
無頼派の作家たちについては「飲まずに生きていられない人の話は、滑稽で、悲しい。(中略)太宰もご多分に漏れず、酒の味が嫌いで、酔うためだけに飲んだ。酔いが醒(さ)めれば慚愧(ざんき)の念に堪えかねて、また飲む。/太宰の盟友、坂口安吾もやっぱりそうで、『息を殺して、薬のように飲み下している』」と記す。
世代が下がって、村上春樹氏の場合、デビュー作「風の歌を聴け」に頻出するビールは「作者自身の青春を象徴するイメージ」とみる。同様に愛飲しているらしいウイスキーは、小説においては「異世界への突破口の役割」を果たすなど不穏な働きをすると指摘する。
いくつもの共通点
「雑誌『季刊酒文化』の連載をまとめたもので、『酒と文学は似たところがある』と書き始めたことで方向性が固まった気がする。(様々な文学作品で)酒が登場する場面を思い出しては、それを連想ゲームのようにつなげていった。作家にはやはり酒が似合うと個人的には思っています」と七北氏は話す。
写真家の林忠彦が残した写真が示すように、太宰や安吾らは東京・銀座で今も営業中の老舗バー「ルパン」に出入りしていた。現在も作家や編集者が集まる文壇バーが存在し、東京・新宿の「風花」はその一つ。2月に亡くなった作家の古井由吉氏はここで2000年から10年まで朗読会を開いた。古井氏やゲストに招いた作家が自作を朗読し、文学ファンが耳を傾けた。
文豪たちと酒との親密な関係は、多くの名エッセーが残っていることからも分かる。それを集めたのが、19年1月刊行のキノブックス編集部編「酒呑(さけの)みに与ふる書」(キノブックス)だ。開高健は「淡麗という酒品」という文章で「酒と文学は原料の選び方、仕込みのやり方、腐らせ方、寝かせ方、細部の気のつかい方、無数の点でそっくりである」と書いている。
断酒の日々を思索
一方、そうした「ほろ酔い文学」の系譜も変わりつつあるようで、飲酒をやめた経験をつづった本も登場した。「きれぎれ」(芥川賞)などで知られる町田康氏が19年11月に出した「しらふで生きる」(幻冬舎)だ。30年間毎日酒を飲み続けてきた「大酒飲み」の作家が、15年の大みそかに酒をやめようと決め、以来一滴も飲んでいない。そうした日々を酒に関する思索を交えて書いたエッセーである。
飲むと楽しいが、楽しみにはそれに伴う苦しみが必ずある、人は認められたいと思うから酒を飲むのであって、「自分はアホ」と思えばいい――。自分の経験を踏まえ、酒を遠ざけるにはどうすればよいかを「町田節」でつづる。
もっとも「酒の悪口を言う本にはしたくなかった」とも話す。「飲むも飲まないも自由。自分には酒を飲む才能がなかった」
自分は関係を絶ったが、酒と文学の関わりは今でも深いとみる。「小説家や詩人は虚構を作るわけですが、これはもう一つの現実を生み出すということ。それは酩酊(めいてい)した状態に似ている。もっとも、酒を飲んで小説や詩を書いた経験はありませんが」と笑う。
若者を中心にアルコール離れが進んでいるといわれる現代。それでも、酒と作家、酒と文学をテーマにした書籍は根強い人気を誇る。酒と文学の親和性は高いのかもしれない。
(編集委員 中野稔)
[日本経済新聞夕刊2020年3月17日付]
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