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人材発掘は続く。あいおいニッセイ同和損保のセミナーに参加する管理職候補の女性とその上司ら(東京都世田谷区の研修所)

人材発掘は続く。あいおいニッセイ同和損保のセミナーに参加する管理職候補の女性とその上司ら(東京都世田谷区の研修所)

■あいおいニッセイ同和損害保険の金杉恭三社長は1992年、同社の前身である大東京火災海上保険の本社の課長代理から立川支店長に転じた。

本社の営業推進部で課長代理をしており、経験を生かそうと理想を抱いて赴任しました。ところが立川支店は社員が4人程度しかいません。シェアも低い調子の悪い店でした。火災保険や自動車保険の販売を担う銀行、自動車販売店など有力代理店は他社が押さえており、落胆しました。

どうにかしたいと思い、目をつけたのが、代理店候補の人材に支店で働いてもらう研修生制度です。当時はバブル崩壊直後で景気も良くなく、不動産などの商売ができなくなった人がたくさんいました。こうした人に、まず支店で働いてほしいとあちこちで声をかけました。大量に採用して20人以上にし、徹底的に営業をかけてもらいました。

かなすぎ・やすぞう 79年(昭54年)早大政経卒、大東京火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)入社。12年取締役、16年から現職。東京都出身。

かなすぎ・やすぞう 79年(昭54年)早大政経卒、大東京火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)入社。12年取締役、16年から現職。東京都出身。

社員は研修生を統率しつつ、自力で営業しました。損保でままある「代理店任せ」にしませんでした。

心がけていたのは「1つのことをやれ」と伝えることです。複数のことを同時にやらせようとしても、うまくいきません。ある社員は流通業に、別の社員は自動車整備工場などの「モーター代理店」の開拓に専念して成果を出しました。

当時は保険料などが横並びで、熱心な営業が功を奏したようです。シェアは4年連続で上昇し、最終的には社内トップの実績をあげました。

■96年に人事部・企画チームに異動する。

支店長として実績をあげたのに、ラインの長ではない主査です。「何かやったのか」と同僚に冷やかされて人事担当役員に会うと「特命だ。骨は拾ってやる」と言われました。保険料率が自由化され、収益悪化が見込まれていました。賃下げに伴う組合への対応を任されたのです。

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