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問題の根底には「本来の自然」や「在来種」とは何かを巡る認識の混乱もある=イラスト・よしおか じゅんいち

問題の根底には「本来の自然」や「在来種」とは何かを巡る認識の混乱もある=イラスト・よしおか じゅんいち

およそ半世紀前、初夏の桜の枝には外来種アメリカシロヒトリが大発生し、毛虫が葉を食い尽くす光景が随所で目撃された。

筆者が入学した大学の生態学研究室の輪読会では、生態学者チャールズ・S・エルトンの『侵略の生態学』(川那部浩哉ほか訳、思索社・1971年、原書58年)が読まれていた。それが今や、外来種の蹂躙(じゅうりん)は一過的だったのか、アメリカシロヒトリの大発生はすっかり下火となり、エルトンの同書は糾弾の的となっている。

エルトンは、外来種は安定していた環境の和を乱し、生物の多様性を減少させる場合が多い、その導入や侵入には警戒すべきだと訴えた。生物多様性は善で、侵入生物は悪と色分けしたのだ。これにより、外来種悪者論の下地が整えられ、多様で安定した環境を守ろうという自然保護、環境保全の思想が定着した。

外来種に対するエルトンの警告は、90年代初頭に保全生態学の登場によって再評価された。開発や外来種によって損なわれた「本来の自然環境」を復元すべしという機運が盛り上がったのだ。

違和感が高まる

しかしここにきて、そうした保全思想に待ったをかける書の出版が相次いだ。その先鞭(せんべん)をつけたのが、エマ・マリスの『「自然」という幻想』(岸由二ほか訳、草思社・2018年、原書11年)である。

マリスは、「本来の自然」とはアメリカ人の「手つかずの自然(ウィルダネス)」信仰が生んだ幻想にすぎず、そんな自然はどこにもない、人間が住み着く前も後も、自然は常に変化してきたではないかと断じ、今の「改造された自然」も同じ自然に変わりはない、それを維持すればよいと主張した。

同じ論調の書がその後を追った。ケン・トムソンによる啓発的な書『外来種のウソ・ホントを科学する』(屋代通子訳、築地書館・17年)、フレッド・ピアスによるレポート『外来種は本当に悪者か?』(藤井留美訳、草思社・16年)、クリス・D・トマスによる紀行文的な『なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか』(上原ゆうこ訳、原書房・18年)である。

いずれもエルトンの影響力を槍玉(やりだま)にあげ、外来種悪者論の見直しを迫っている。これらの書の翻訳出版の集中は、ヒアリやセアカゴケグモ騒動、池の水を抜くテレビ番組での外来種退治をめぐる違和感の高まりを商機と見た出版戦略ではあるにしても、環境保全問題を見直すよい契機である。

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