甦る千年前のラブストーリー 新訳で魅力光る源氏物語
「源氏物語」の新たな現代語訳が次々に登場している。現代作家や研究者が翻訳するほか、海外で広く読まれる英語版を邦訳している。多彩な訳が千年前の古典の新しい魅力を浮かび上がらせる。
「いざ現代語訳に取り組んでみたら、どんな風に解釈しても動じない強靱(きょうじん)な物語だと感じました。私は女性の心理や感情に寄り添うように読んだが、それ以外の様々な読み方もできる。(古典だからと)遠ざけてしまうのはもったいないので、できるだけ分かりやすい訳を心がけました」
作家の池澤夏樹氏が個人編集する「日本文学全集」(河出書房新社)の一つとして、紫式部「源氏物語」(全3巻)を訳した作家の角田光代氏は振り返る。全集の完結巻となる下巻が2月下旬に刊行される。
小説執筆休んで
42帖「匂宮(におうみや)」から54帖「夢浮橋」までを収録。終盤の「宇治十帖」では光源氏に代わって、息子で堅物の薫、孫で好色な匂宮という対照的な貴公子2人が登場し、京都・宇治の八の宮の娘姉妹に近づく。しかし、薫が恋慕する姉は死去。諦めきれない彼はうりふたつの浮舟を知るが、やがて匂宮を交えた三角関係となる。
「特定の人物にはひかれなかったが、『宇治十帖』には男性にすがらない女性の生き方が描かれていて、そこは現代的かなと感じました」と角田氏。
訳に専念するため、2015年春から小説の執筆は休んでいた。予定より刊行時期は延びたが「やっていればちゃんと終わるんだと感じた」と安堵の表情。既に小説執筆は再開し、今春には新聞連載も始める。
英国の東洋学者アーサー・ウェイリーが英訳し、1920~30年代に刊行された「ザ・テイル・オブ・ゲンジ」シリーズは英語圏に「源氏物語」を広めるきっかけとなった。この「A・ウェイリー版源氏物語」を俳人の毬矢まりえ氏、詩人の森山恵氏の姉妹が日本語に翻訳し、左右社から刊行された。19年7月に第4巻が出て完結した。
「千年前に書かれた『源氏物語』を百年前に翻訳したのがウェイリー版。舞台を単に平安期の日本に戻すだけでなく、ウェイリーが生きた時代の英国を経た物語として、現代の日本によみがえらせることをめざしました」と毬矢氏は話す。
国境越えた物語
表記にも工夫した。例えば、48帖「早蕨(さわらび)」。「宮中晩餐会(パレス・バンケット)など忙(せわ)しない新年祝賀行事(ニューイヤーセレブレーション)が一段落したあるしめやかな夕べ、ニオウのところにカオルが訪ねて来ました」。そこには国境を越えた物語世界が広がる。
「翻訳をクリエーション(創造)ととらえ、従来とは違う『源氏物語』のイメージを打ち出すことを目指した」(森山氏)という。
平安文学を専攻する早稲田大学名誉教授の中野幸一氏が現代語に訳した「正訳源氏物語」(全10巻、勉誠出版)も17年に完結した。「物語とは本来、語りの姿勢で書かれているものであるから、それに徹して『ですます調』で訳しました。それもあってか、朗読しやすいという評価を得ています」と中野氏。研究者らしく「本文に忠実に訳した」という。それは訳文のすぐ下に対照できる原文を置いた点にも表れている。
「『源氏物語』の様々な描写はすべて紫式部のオリジナルのようにとらえられるが、実は先行する物語の型を踏まえた部分も多い。それでも、今に通じる愛の多様性を示している点は類例がない」と中野氏。現代語訳からはそれぞれの訳者の解釈がうかがえる。
(編集委員 中野稔)
[日本経済新聞夕刊2020年2月17日付]
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