名刹生まれのやさしい精進料理 鎌倉のけんちん汁
素朴な家庭料理として全国各地で親しまれているけんちん汁は、建長寺(神奈川県鎌倉市)の精進料理が元祖という説がある。鎌倉時代から僧侶が食していた「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったのだという。同寺周辺には「建長(けんちん)汁」の名でメニューに掲げる店がいくつかある。
「うちの建長汁は建長寺直伝です」。寺の門前にある和風カフェ、点心庵の料理長、高橋博文さんはこう胸を張る。2年前に店がオープンする際、管長の吉田正道老師から直接調理法を学び、オリジナルと同じ味を再現することにこだわったという。
細かく切ったゴボウやニンジン、ダイコンなどをごま油で炒め、手で崩したコンニャクと豆腐を加え昆布と干しシイタケのだし汁で煮る。味付けは塩としょうゆ。胃の奥深くにじんわりと染みていくようなシンプルで優しい味だ。
高橋さんはもともとイタリアンの料理人だ。「(味を)加えておいしくするイタリア料理に対し、精進料理はひいておいしくする料理。より難しい」のだという。
市販のけんちん汁は鶏肉を入れる場合もあるが、鎌倉の建長汁は精進料理なので動物由来の食材は基本的に使わない。ただ1986年創業の食事処、鎌倉五山はかつおだしを使う。ニンジンやダイコンなどの基本野菜のほか、色味と栄養バランスを考えてホウレンソウを加え、ごま油は食べる直前にかけるのが特徴だ。
「低料金で、子供からお年寄りまで野菜のおいしさを知ってもらいたい」と店主の新井隆昭さん。アレンジを加えつつ、素朴な味わいをより手軽に味わってもらいたいと考えている。
ミシュランにも掲載された精進料理の鉢の木北鎌倉店は11~2月、コース料理の最後に建長汁を提供している。期間を区切っているのは、使う野菜の旬に合わせているためだ。藤川譲治社長は「最近は一年中野菜が手に入るが、自然の摂理から外れないようにしている」と話す。
鎌倉は訪日外国人が多く、各国の要人をもてなすこともある。ベジタリアンやビーガン(完全菜食主義者)にも好評だという。「食材のロスをなくすという意味でSDGs(持続可能な開発目標)にも合っている。もっと注目されていい」(藤川社長)
もっとも鎌倉生まれの料理とはいえ、地元でけんちん汁が他地域より好まれているというわけでもないようだ。市内の小中学校では給食や授業を通じて「郷土の味」であることを教えているという。
建長寺発祥説によれば、同寺開山の蘭渓道隆禅師が、野菜をすべて使い切るためにごま油で炒めてから煮る調理法を宋(中国)から持ち込んだとされる。手で豆腐を崩して入れるのは、修行僧が誤って落とした豆腐を「もったいない」と鍋に入れたためとも。一方で、中国の精進料理「普茶料理」の巻繊(けんちん)の字を充てることもある。建長寺では今も研修や檀家の集まりなどで提供される。昨年11月に開かれた「建長まつり」では大鍋で調理した約5000食が参拝者らに振る舞われた。
(横浜支局長 石川淳一)
[日本経済新聞夕刊2020年2月6日付]
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