紫式部も漱石も村上春樹も 文学はやっぱりネコが好き

ひもをつけられた猫が御簾から外に出てきている(「源氏物語絵屏風」若菜上、部分、国文学研究資料館蔵)
ひもをつけられた猫が御簾から外に出てきている(「源氏物語絵屏風」若菜上、部分、国文学研究資料館蔵)

写真集にエッセー、飼い方の実用書とまさに百花繚乱(りょうらん)の猫本。セールス面だけでなく、現代文学のモチーフとしても猫に熱い視線が注がれている。

「海辺のカフカ」など作中で多くの猫を描いてきた村上春樹。自らのルーツを語る随筆「猫を棄てる――父親について語るときに僕の語ること」(文芸春秋2019年6月号)では「猫と本が僕のいちばん大事な仲間だった」とつづる。

「小説より猫のことをずっと考えている」。18年の川端康成文学賞贈呈式でそう語ったのは保坂和志だ。愛猫を描いた短編集「ハレルヤ」(新潮社)をはじめ、猫が登場しない作品のほうが珍しい印象。辛辣な批評で知られる金井美恵子もエッセー集「たのしい暮しの断片」(平凡社)では「映画について書く時でさえ、私は自分の飼猫の自慢をついでに書いた」と述べている。

研究者も注目

日本文学史上でしばしば登場する猫に、海外の日本文学研究者も関心を抱く。「現代日本の猫文学は、先行作品における記述と、遠い影響関係にあるのではないか」と語るのは、英国で文芸創作批評を専攻する作家のニコラス・ブラッドリーさんだ。ブラッドリーさんは英国で平出隆「猫の客」や有川浩「旅猫リポート」といった小説が翻訳され、人気を博している現象に着目。自ら東京と猫をテーマに小説を執筆し、今年、英国で発売する予定だ。

書肆 吾輩堂では猫本や猫美術に関するイベントも開催

猫を書いた作家は数知れない。猫本専門店、書肆吾輩(しょしわがはい)堂(福岡市)の店主、大久保京さんは「猫と作家は抜群に相性がいい」という。「散歩させる必要がなく、静かで思索の邪魔をしない。神秘性や美しさが創作意欲を刺激し、夜行性という点も作家の生活スタイルと合っているのでは」

例えば「谷崎潤一郎は猫にベタぼれ。内田百●(もんがまえに月)は今で言う『ペットロス症候群』かもしれない。多くの猫を飼っていた大佛次郎は雑貨も膨大に集めていた」と大久保さん。

猫と人との関係は、時代とともに変遷してきた。甲南大学の田中貴子教授は「猫の古典文学誌」(講談社学術文庫)で、猫が初めて文献に登場するのは9世紀の仏教説話集「日本霊異記」だと説く。「狸」と書いて「ネコ」と読ませているのは、中国における表記が輸入されたからだという。

平安時代には宮中の貴族たちが猫を飼うようになった。ただ、現代人のペットに寄せる愛情とは異なっていたようだ。「舶来の唐猫はステータスシンボル。かわいらしさや癒やしを求めるのではなく、高価なつぼが欲しいのと同じ感覚だったのでは」と田中教授。

観察者の視点

清少納言「枕草子」、紫式部「源氏物語」にも登場するが、そこで際立つのは愛着よりも、身近な動物への細やかな観察眼だ。

「源氏物語」に出てくる姫君のうち、猫を飼っているのは幼くして光源氏の妻となった女三宮。田中教授は「彼女の幼さや無防備さを猫に重ね合わせている。紫式部は猫を観察し、うまく作品に生かした」とみる。この“観察者としての視点”は「猫による人間観察記である夏目漱石『吾輩は猫である』まで続く」と長い伝統を指摘する。

中世以降になると、猫は魔性のものとして捉えられることが多くなる。江戸時代には講談や浮世絵に化け猫が登場する。大久保さんは「明治生まれだった曽祖母は、私に猫を飼うことを禁じていた。昔の考え方を引きずっていたからでは」と苦笑する。

古くから日本文学において大きな存在感を放ってきた猫。千年以上の蓄積が新たな文学的成果を生み、今また読者を引き付ける。

(桂星子が担当しました)

[日本経済新聞夕刊2020年1月28日付]

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