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不二製油の大豆由来総菜店(大阪市)

不二製油の大豆由来総菜店(大阪市)

■不二製油グループ本社の清水洋史社長は1989年、たんぱく事業本部企画室の課長になった。

新卒で入社して以来12年間勤めた油脂課から異動しました。大豆を原料とする新素材をグループ会社に卸す部署でした。

初めて管理職になって本来は喜ぶところですが、仕事は全く面白くありませんでした。数人いた部下はやる気がなかったり、年上だったりして思うように指示を出せません。酔った60歳近い部下をおんぶして連れて帰ったら、奥さんから「こんなに飲まして!」と怒られたこともありました。

(下)「オムレツ作ってみろ!」 消費者見ない開発に喝 >>

■企画室の仕事の傍ら新規事業立ち上げに関わった。
しみず・ひろし 77年(昭52年)同志社大法卒、不二製油入社。09年常務、12年専務。13年から現職。長野県出身。

しみず・ひろし 77年(昭52年)同志社大法卒、不二製油入社。09年常務、12年専務。13年から現職。長野県出身。

管理職として鬱々としていた頃、会社の後輩で後に最高技術責任者(CTO)となる前田裕一君が、おからから水溶性の食物繊維を抽出できることを発見しました。当時はおからの有効活用が大きな課題。当社は大豆から搾った油や豆乳を販売しますが残ったおからも売れなければ、商品の製造コストが上がってしまうのです。

「おからを高く売れ」。上司から営業出身の私に声がかかりました。「企画室の仕事より面白い」と次第に傾注するようになりました。これが私にとって転機となったのです。

顧客を回りましたが、何に使えるかよく分からず、全く売れませんでした。「顔料を安定させる分散剤として使えないか」と考え、画材メーカーに提案し、実験してもらったところ、倉庫に置いた絵は全てゴキブリの餌に。材料がおからだったから当然です。

品質管理とは決められた基準をただ守るのではなく、顧客の価値に対し必要なことを提供するのが仕事なのだと学びました。

売れるようになったのは、安定剤としての用途が見つかったからです。必死に用途を探す中、取引先の食品添加物メーカーに「何とか使えないか」と渡してみました。

■中核商品に育つ。

しばらくして「面白い現象が出ている」と呼び出されました。通常、牛乳にミカン汁を入れると成分が化学反応を起こして固まります。ところが新素材を入れると固まらないのです。後に乳酸菌飲料の沈殿防止剤に採用されるきっかけとなりました。今でも当社の中核商品である水溶性大豆多糖類です。

4年間全く売れませんでしたが、当時の経験は今でも役に立っています。「面白いネタがある」と知って、みんな寄ってきましたが、1~2年売れないと最初に近づいてきた人間から去っていきました。当時は腹も立ちましたが、実績さえ上げれば、世の中の役にも立ち、人もまた戻ってくると考えるようになりました。

あのころ……

インドネシアやマレーシアでプランテーションが拡大し、パーム油が世界的に広がった。フライやクリームなどに使われる。洋食文化の拡大などを背景に、国内でも90年代から使用量が急増。主流の大豆油の供給量を上回るようになった。

[日本経済新聞朝刊 2020年1月21日付]

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