VRで認知症を疑似体験 幻覚におびえ、会話に傷つく
認知症の人に偏見を持たず、自然に接したい。それには、当事者は周囲や世界がどのように見え、どんな行動をとってしまうのかを理解するのが大切だ。仮想現実(VR)映像で認知症の症状を疑似体験してみた。
昨年12月下旬。神戸市のしあわせの村で開かれた「認知症VR体験会」に参加した。認知症の人にやさしいまちづくりを目指す同市が、高齢者向け住宅を運営するシルバーウッド(千葉県浦安市)と開いた。40~70代の市民ら約30人が集まった。自身や家族の高齢化で、認知症が身近になった人たちだという。
プログラムは同社が当事者や専門医の協力を得て開発した。認知症の多様な症状のうち「距離感がつかめなくなる視空間失認」「置かれた状況が分からなくなる見当識障害」「幻視」の3つをVRの映像で疑似体験する。
「用意はいいですか。さあ、始めてください」。インストラクター役の同社の黒田麻衣子さんが、VR用のゴーグルとヘッドホンを装着した参加者を促す。目の前に広がるいくつかの映像コンテンツの中から、記者はまず「私をどうするのですか」を選ぶ。
「うわー、足がすくむ」。目前に広がるのは、自分がビルの屋上の端に立たされている映像。認知症の人は車などから降りようとする際に距離感がつかめず、こうした映像が浮かぶこともあるという。「視空間失認」の場面だ。
「右足からいきましょうか」。横にいる介護職員が"降車"を促す。「冗談じゃない。踏み出したら転落しちゃうよ」。思わず、心の中で叫んでしまう。
介護職員がにじりよってくる。「来ないでくれえ」。もともと高所恐怖症の身ということもあり、恐怖でいたたまれなくなる。わずか1分半でかなり汗をかいた。
続いて「ここはどこですか」。何の変哲もない電車内の映像だが、自分がなぜ乗っているのか、何の目的で、どこへ行こうとしているのかが分からないとしたら。この映像は「見当識障害」で陥る不安感を再現している。
大きな駅に着いたらしく、乗客がどんどん降りていく。「どうしよう」。慌てて自分も降りる。
「私はどこへ行けばいいのでしょうか」。ホームで駅員さんに訪ねる。「出口はあっち」。ひどくつっけんどんだ。駅員さんに悪気はない。こちらの精神状態が理解できないのだろう。「ああ、これは傷つくなあ」
最後は、実際に存在しない人や物などが見える「幻視」。映像は友人夫婦の家を訪ねる設定だ。認知症の人の実体験に基づき、再現した。
「ようこそ」。招き入れられリビングに向かう。「あれっ」。クローゼットのそばに見知らぬ男性が立っている。机の上にあるのは、充電コードかと思ったら蛇だ。
「どうぞ」。ティータイムのケーキとコーヒーを勧められる。「ええっ」。部屋の奥に、また知らない男性がいる。気にしていても仕方がない。見たことは忘れて、ケーキをいただくことにしよう。
「なんだ」。ケーキにかかったクリームが動いている。よく見ると虫がうごめいている。なぜ自分には、ありもしないものが見えるのか。パニックになる。
「とにかく怖かった」「認知症は単なる物忘れとは違うのね」。疑似体験した後、参加者同士で、それぞれ感じたことを話し合った。
黒田さんは、VR体験が「共感のギャップを解消するきっかけになれば」と言う。幻視について「人なんかいるわけないでしょなどと否定すると、ストレスになる。それで症状が悪化してしまう」と指摘する。「私には見えないけど、どういうふうに見えるのなどと寄り添うことが大事」
行動の背景には理由がある。「認知症の人がどんな気持ちでいるかを感じてほしい」と黒田さん。記者の周りにも認知症の人がいる。気持ちをどこまで理解できていたのか。問い直している。
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人数は年々増加 症状実感を
認知症は物忘れや判断力の低下などが原因で、生活がうまく送れなくなる状態。脳の神経細胞が減り萎縮するアルツハイマー型が全体の約7割を占める。日本の65歳以上の認知症の人数は、2012年の462万人から、25年には730万人にまで増加すると予想される。
VRの活用は医療や介護の現場で広がる。シルバーウッドは「認知症を自分のこととして実感してもらおう」と各地でVR体験会を開き、延べ5万5000人が参加した。今後も開催を続ける予定だ。
(大橋正也)
[NIKKEIプラス1 2020年1月18日付]
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