民主主義を脅かす米国の病 「政治的部族」の対立とは慶応大学教授 渡辺靖

今秋の米大統領選では、誰がだけでなく、どのように選ばれるかも注目される=イラスト・よしおか じゅんいち
今秋の米大統領選では、誰がだけでなく、どのように選ばれるかも注目される=イラスト・よしおか じゅんいち

〈米国の分裂〉が危惧されて久しい。しかし、建国以来、米国はつねに分裂しており、一つにまとまらないことが彼(か)の国の活力の源泉でもある。私が米国留学していた四半世紀前から党派対立は凄(すさ)まじかったが、米国史を紐解(ひもと)けば、さほど稀有(けう)な現象でもない。

では、杞憂(きゆう)に過ぎないかというと、そうではない。近年の〈分裂〉は、従来とは異なり、トライバリズム(政治的部族主義)としての性格が強いように思える。ここでは人種や宗教、ジェンダー、教育、所得、地域などの差異に沿って、各自が自らの集団の中に閉じこもることを指す。

これだけなら目新しくはないが、問題は自らの部族を「被害者」「犠牲者」とみなし、他の「部族」を制圧しようとする点にある。ソーシャルメディアがこうした傾向を助長している。

強い指導者希求

政治的指導者は国民融和を目指すのではなく、特定の部族の利益のみを重んじ、抗(あらが)う部族を徹底的に敵視する。そのためには、既存の制度や規範を気にかけることもなく、そのことを「強い指導者」の証として誇示する。

米ニューヨーク・タイムズ紙の辛口書評家として名を馳(は)せたミチコ・カクタニの『真実の終わり』(岡崎玲子訳、集英社・2019年)は、「客観的事実」なるものが消え去り、異なる部族に異なる事実が存在するようになった時代思潮を、秀逸な文芸批評を織り交ぜながら読み解く。トランプ大統領の誕生をポストモダニズムの皮肉な帰結と捉える視点は新鮮だ。

そして、そのカクタニも引用するトム・ニコルズ(米海軍大学校教授)の『専門知は、もういらないのか』(高里ひろ訳、みすず書房・19年)。建国以来、権威や権力に懐疑的な米国では、専門家ではない、一般市民の知見を尊重するレイマンコントロール(素人管理)の伝統がある。陪審員制度などはその典型だ。しかし、国家安全保障問題を専門とする著者は、近年、米国では専門知が軽んじられ、正誤ではなく、好き嫌いによって政策を判断する風潮が強まっていると警鐘を鳴らす。もはや専門知も一部族にとっての事実に過ぎないのだろうか。

ニコルズは「わたしは低学歴の人々を愛している」というトランプ大統領の発言に注目。その求愛に応じるかのごとく、白人労働者層もまた、ロシア疑惑やウクライナ疑惑があろうとも、同大統領を固く支持し続ける。まるでトランプ部族のように。

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