数字追う仕事ぶり反省、現場負担減らす働き方に
SCSK社長 谷原徹氏(上)
地方拠点に大都市の仕事を回す「ニアショア制度」など柔軟な働き方に工夫をみせるSCSK
1997年、当時のCSKで西日本を統括する事業本部長から「本社に上がってこい」と言われました。大阪本社で技術マネージャーをやれとのこと。入社してから初の本社勤務です。
ずっと顧客の現場に常駐してIT(情報技術)のシステム基盤やネットワークを構築するシステムプログラマー(SP)をやっていました。
自分の技術力を極めたいと思っていたので「嫌です」と即答しました。本部長には叱られましたね。「技術も大切だが人を育成するのはもっと大切だ」と言われて渋々納得しました。
2年後に西日本事業本部で約100人のSPを率いるチームの課長に任命されました。当時は、ホストコンピューターからUNIXや「ウィンドウズ」などオープンシステムへの移行が最盛期。
しかし、CSKにはオープンシステムの人材も技術力も実績もないないづくしでした。チーム内で講座を開設するなどして、ノウハウの蓄積を進めました。
システムの変革期だったので、1年目で売り上げと利益が倍増するペースで案件が増えました。毎日の提案に追われ、メンバー全員がいつも最終電車で帰るブラックな労働環境でした。ここまで追い込まれたら、新たな発想やイノベーションは生まれません。今振り返るとそう思います。
たにはら・とおる 82年(昭57年)大阪電気通信大工卒、コンピューターサービス(現・SCSK)入社。11年SCSK取締役専務執行役員、16年から現職。大阪府出身
当時は事業本部内で期待されている課だったので、数字を積み上げなければいけないという強いプレッシャーを感じていました。そんなある日、週1回の会議でマネジャーの報告が顧客の近況や課題ではなく、数字の話ばかりなのに気づきました。知らず知らずに彼らにも同じようにプレッシャーを与えていたのだと思います。
かつては数字ばかり求められるのが嫌でした。数字はあくまで結果にすぎない。顧客の課題を素直に捉え、適切な提案をしてゴールまでのプロセスをつくれば、必ず結果はついてきます。自分がやられて嫌なことを部下に強いていたのを強く反省しました。
それ以降、開発の標準化や自動化などの仕組みを次々と導入していき、現場の負担を減らすことを徹底しました。
こうして時間の余裕ができれば、家族と触れ合ったり遊びに行けたりできます。働き方の"景色"が変わるのを感じました。当時の経験が、今の当社の働き方改革の取り組みにもつながっているのです。
あのころ……
1990年代後半、IT(情報技術)業界では大型のホストコンピューターで集中処理するシステムから、小型コンピューターのサーバーやパソコンを組み合わせて分散処理するシステムへの移行が活発化。インターネットの普及と相まって業界は好況に沸いた。