患者も介護スタッフも歓迎 医師が学ぶ連携スキル
医療者が専門の医療技術以外で、チームの運営方法や対話法など「ノンテクニカルスキル(非専門技術)」を学ぶ動きが広がっている。医師を中心とする医療界は他業種に比べると上下関係が強い傾向があり、若手や多職種が異論を唱えにくいこともある。だが在宅医療など医療界の枠を超えた連携が求められる中、研修を受けてチーム医療を高めようとしている。
「病変はここですか?」
「違う! 病変の特定もできないのにアセスメント(状況評価)ができるわけがないだろう!」
昨年11月に東京都内で開かれた医師向けのノンテクニカルスキルの講習会。コンピューター断層撮影装置(CT)の画像を見る研修医と指導医がスクリーンに映る。怒号を浴びた研修医が発言をためらうようになると、似た経験があるのか、苦笑する受講者も多い。
講師を務める筑波大病院総合診療科の前野哲博教授は「皆の前で質問するときは、研修医には自信をもって知っていることか、知らなくても恥ずかしくないことを聞きましょう」と解説を加えた。
この講習は、あらゆる年齢の幅広い病気を診療する「総合医」がつくる日本プライマリ・ケア連合学会と全日本病院協会が、2018年から始めた。産業界の研修メニューを医療関係者向けに改良した。
前野教授によると、ノンテクニカルスキルは対話法やコーチングなど指導法のほか、チーム運営や時間管理などを含む総合的な技術。医療者の「専門技術(テクニカルスキル)」とは異なるため「ノン」テクニカルスキルと呼ぶ。
医療界では診療科別の大学医局での上下関係が強く、若手が異論を出しにくいなど意思疎通や情報共有が難しいことがある。一方で「対話法や指導法などをわざわざ学ぼうという意識は低く、体系的な教育を受ける機会がほとんどない」(前野教授)という。
だが高齢化が進み、在宅医療が普及するなか、病院内だけでなく、介護関係の多職種や家族などと接する機会も増えている。前野教授は「患者ごとに異なるケアマネジャーや介護士など多くのスタッフと臨機応変にチームを組むため、医療技術だけでなく、ノンテクニカルスキルが重要になっている」と指摘する。
薬剤師の研修を手がける一般社団法人、薬学ゼミナール生涯学習センター(埼玉県川越市)も17年、ノンテクニカルスキルの授業を始めた。
医療費抑制のため、複数の病院が出す薬を一元管理して過剰・重複投薬を減らす「かかりつけ薬剤師」が16年に制度化されたことが背景にある。かかりつけ薬剤師は危険な飲み合わせを防止するために医師に問い合わせしなければいけないことも多い。医学アカデミーの担当者は「高いノンテクニカルスキルがないと役割を果たせない」と話す。
重視する技術の一つがコンフリクトマネジメント(紛争対応)だ。医師が処方した薬に疑問を抱いたときに医師に問い合わせる場合に重要になる。医師と意見を衝突させずに、よりよい方向に導く方法を学ぶ。
人手不足の対策として導入する例もある。
群馬県は15年度、県立の4病院の看護師を対象にノンテクニカルスキルの研修を始めた。看護師の離職率が高まっていたことがきっかけだった。
県の北爪明子・看護人材支援専門官は「若手が気兼ねなく現場の問題点を指摘し、自ら解決できるようになる職場をつくりたかった」と話す。管理職から徐々に対象を広げ、昨年度からは新人も受講している。
研修は年1回、2日間に分けて行う。初日は議論の方法などを学ぶ基礎編、2日目は実際の現場の課題を話し合う実践編だ。
例えば「同僚にうまく注意をしたい」という課題が提起され、「できている部分も伝え、これからの行動を一緒に考えているか」といった7項目のチェックポイントを記したカードを実践編で作成。4病院の看護師はポケットに入れて持ち歩くようになった。
医療機関向けの研修を手掛けるアクリート・ワークス(東京・渋谷)の守屋文貴社長はノンテクニカルスキルに関する講演を年100回近くこなす。5年前と比べて倍増したという。
「ノンテクニカルスキルは労働時間の削減など経営面でも効果がある。導入を決断する医療機関はさらに増える」とみている。
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事故防止が起源 航空や米軍の技術応用
ノンテクニカルスキルの研修はもともと、重大事故の防止を目的に航空業界などで広まった。医療界でも、同じように事故を防止するために医療安全の分野で先行して導入されるケースが多い。
ノンテクニカルスキルにいち早く取り組んだ医療機関の一つが大阪大病院だ。
安全教育や事故調査を担う部門が2009年、ノンテクニカルスキルの教育方法の研究を開始。航空業界で行われているリーダーシップ教育を取り入れた。パイロットも医師と同様、権威主義が強いとされる職業だ。
東京慈恵会医科大病院が10年から導入した「チームステップス」は、米軍が使う方法を医療向けに応用した研修内容になっている。個人のスキルだけでなく制度面からも問題解決を図る。
同病院では呼吸や血圧の小さな異常が見つかると、担当医ではなく集中治療部に報告する。担当医は治療への自信から問題を過小評価しがちな「正常性バイアス」に陥りやすいためという。
同病院の海渡健・診療部長は「医師も人である限り『ノーミス』はあり得ない」と説明する。そのうえで「ミスをしても、チーム力を強化すれば患者に害を与えないことは実現できる」としている。
(寺岡篤志)
[日本経済新聞朝刊2020年1月6日付]
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