米国赴任・合弁会社へ転籍、10年間の欧米流武者修行
住友金属鉱山社長 野崎明氏(上)
グローバル展開する住友金属鉱山(チリのシエラゴルダ銅鉱山)
入社6年目、アリゾナ州で権益を保有するモレンシー銅鉱山に赴任しました。この鉱山は当社が86年に出資したばかり。少額出資なので、周りはほとんどが米国人です。従業員2000人の会社で日本人は私を含めて2人だけでした。
大規模鉱山の採掘プロジェクトの支払いや伝票の管理をほぼ1人で担当することになりました。東京の本社で経理をやっているのとはわけが違います。伝票の数字に疑問があれば、米国人と直接、話をするしかありません。大柄の米国人を前にして「この支払いはこうなっているが、一体何をやったのか」と毎回、確認して、日本に収支を報告しなければなりません。
米国人だけの職場で肩身が狭く、最初はなじめませんでした。それでも、細かく何度も確認するという日本流の仕事のやり方を貫くうちに、次第に米国人からも信頼されるようになりました。当時の米国の会計システムは日本よりデジタル化が進んでいて、最新の資金管理に触れられたことも大きかったですね。
92年に関連会社の日本ケッチェンに経理・事務担当として転籍しました。同社はオランダの化学大手、アクゾ(現アクゾ・ノーベル)との合弁会社で、製油所の水処理に使う触媒を作っていました。当時は鉱山など資源以外へ多角化を進めていて、その一環で参画した事業でした。
義父からは「米国から帰ってきて子会社に飛ばされるなんて、何かしでかしたのか」と言われる始末です。結局、本社に戻れたのはその7年後でした。
のざき・あきら 1984年(昭59年)早大商卒、住友金属鉱山入社。14年取締役執行役員。16年取締役常務執行役員。18年6月から現職。東京都出身。
会議などでオランダ人とやりとりすることもしばしば。目の当たりにしたのはオランダ人の独特な交渉戦術です。彼らは頭が良く、とにかくタフです。生産を受託する製品の販売価格の話し合いなどでは、相手のミスだと思ってこちらが突っ込むと、逆にそれを材料にされて交渉を有利に進められてしまう、なんてこともありました。
数字に対する考え方も彼らは非常にドライです。世界大手のアクゾ社にとって、当社との合弁は世界に数ある事業の一つでしかない。投資一つ決めるのも採算性が見込めなければ話も聞いてくれませんでした。
10年間も海外関連の仕事をしました。当時は欧米流の仕事のやり方に驚くことばかりでしたが、若い時期に小規模の会社の経営を間近で客観的に見られたことは、経営者となった今でも貴重な経験になっています。
あのころ……
別子や足尾など国内の代表的な鉱山は埋蔵量の枯渇や採掘コスト上昇で、1970~80年代に相次いで閉鎖した。85年のプラザ合意後の円高不況で国内景気も低迷。非鉄金属大手は鉱石調達を輸入に依存する一方、電子材料事業など収益の多角化を進めた。