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丸一鋼管で米国事務所を立ち上げ、油井管事業を伸ばした(写真=右)

■1980年に住友商事から丸一鋼管に転職した。

ブラジルから帰国後、同期に先駆けて本社の課長代理に昇進しました。ただ、将来への期待も人事部長の訓示でしぼみました。「課長代理は社内の序列では半分以下だ」。今後も階段を1つずつ上がるのか。自らの裁量で仕事をすることに慣れていたので、年功序列に違和感を覚えました。

そんなとき、丸一鋼管の会長だった義父から「海外展開に向け、経験者がほしい」と誘われました。当時の丸一鋼管は伸び盛り。腕のふるいようがあると感じ、転職を決めました。

■米国で営業拠点を立ち上げた。

入社2年目で米ヒューストンの事務所長に就きました。石油採掘に使う油井管の販路を開拓しつつ、顧客の声を日本に届けて製品改善に生かすのが仕事です。

意外な発見がありました。顧客に呼ばれて出向くと他社製品を引き合いに「鋼管内部の溶接部分が出っ張っていると壊れやすい。へこませてくれ」と言われました。「爪がひっかかる程度に盛り上がりを残した方が丈夫だ」という我々の常識とは真逆です。さっそく日本の製造部門に伝え、修正しました。

当時、原油市場が活況で油井管の販売もすぐに軌道に乗りました。受注に生産が追いつかないほどでした。顧客ごとに優先順位を付け、出荷調整をしたほどでした。

■原油価格の下落で鋼管市況が悪化した。

82年後半から雲行きが怪しくなります。原油価格が下がり、石油会社の設備投資が落ち込みました。契約取り消しや納期先延ばしといった要望も相次ぎます。建材向け販売にも力を入れましたが、油井管の販売減を補えません。

低迷する業績に部下の疲労感もたまるばかりです。食事や平日夜のテニスをともにし、チームの士気を保とうとしました。

さらに鋼管の品質を巡り、顧客から損害賠償を求める訴訟を起こされました。鋼管を引き取りたくないのが本音だったと思います。裁判で陪審員から「保険で賠償すればいい」と言われ、不本意ながら和解金を払いました。「山高ければ谷深し」。市況悪化が訴訟にまでつながるとは思いもしませんでした。

好況に乗って実力以上のことをすれば、後で痛い思いをする。仕事がないからといって部下に暇つぶしのような業務をさせるわけにいきません。長期的視野で販売戦略を考えるべきだと学びました。

みんなが前のめりになっているときは立ち止まって考える。苦い教訓は今も大切にしています。

あのころ……

丸一鋼管は1970年代、需要地近くでの生産体制を整えるべく全国に工場を新設した。その結果、主力の堺工場(堺市)で余剰能力が発生。これを活用するために80年に米国での油井管事業に参入し、現地の石油開発ブームに乗って販売を伸ばした。

[日本経済新聞朝刊 2019年12月10日付]

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