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ブラジルの現地法人に配属された(リオデジャネイロ)

ブラジルの現地法人に配属された(リオデジャネイロ)

■1973年、住友商事でプラント設備の輸出を担当していた鈴木博之会長はブラジルの現地法人に配属された。

入社5年目で主に製鉄所向け設備を手がける部門を立ち上げました。役職は現法の取締役ですが、部下は新人の若い日系人2人のみ。どちらも営業経験がありませんでした。機械の知識を学んでもらい、日本本社の窓口担当とやりとりできるよう育てました。

引き継ぎはなく取引先も全て新規開拓です。入札案件選びを現地法人の社長に尋ねると「状況が分からないので、自分の裁量でやってほしい」と。上司ではなく自分が決める。環境の変化を実感しました。文化の違いにも驚きましたね。サッカーのワールドカップ開催中は会社にテレビがなかったので勤務中でも試合観戦に出て行かれました。

■最初の1年間は受注がとれず苦労した。
すずき・ひろゆき 69年(昭44年)東大工卒、住友商事入社。80年丸一鋼管入社。83年取締役、03年社長。13年から現職。大阪府出身。

すずき・ひろゆき 69年(昭44年)東大工卒、住友商事入社。80年丸一鋼管入社。83年取締役、03年社長。13年から現職。大阪府出身。

新参者は日本の重工会社と組むのが近道です。ただ三菱重工業なら三菱商事、石川島播磨重工業(現IHI)なら三井物産と、有力な日系企業は既に商社と組んでいました。しかもほかの商社の営業部隊には部長級がいるのにうちは若い私だけ。最初の1年間は1件も受注できず、事務所に居候している気分でした。

特にこたえたことがあります。会社との部下の給与交渉です。日系人の秘書には光熱費の支払いなど家族の身の回りの面倒まで見てもらっていました。昇給を求めても、管理部門長から「もうかっていないからこの程度で我慢しろ」と返されました。自分の業績が悪いと部下まで巻き込む。結果につながる努力が必要だと感じました。

■現地大手との協業に活路を見いだした。

赴任2年目で転機が訪れます。日本の商社はプラント設備を全て日本から輸入していましたが、一定の現地調達が入札条件となったのです。そこで現地最大手のメーカーと組みました。他社は関係の深い日本企業を優先し、現地大手との連携が遅れたようです。同業の拠点が集まるリオデジャネイロではなく、メーカーと同じサンパウロに事務所があったのも幸運でした。

2年目についに現地の鉄鋼大手ウジミナスの製鉄所向けに約3億円のクレーンを受注しました。苦労が形になる喜びを感じましたね。勝ちパターンができて受注も伸び、発電やガス設備も扱いました。6年間の駐在を終え、帰国するころには三井造船(現三井E&Sホールディングス)や日立製作所などとも組み、プラント部門の人数も約10人と当初の3倍ほどに増えていました。自分で考え、行動する。この習慣が身についたことは後に移籍する丸一鋼管でも大きな糧になりました。

あのころ……

ブラジル政府は1970年代に重工業化政策を取り、製鉄所の拡張を進めた。日本や欧米のプラントメーカーは受注競争を展開。当時の住友商事のブラジル子会社は欧米への革靴輸出が中心だったが、この競争に参加。業容を広げて先行する三井物産や三菱商事を追った。

[日本経済新聞朝刊 2019年12月3日付]

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