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店舗事業部で課長時代、ニューヨークなどの海外で流通現場を調査した(写真右)

店舗事業部で課長時代、ニューヨークなどの海外で流通現場を調査した(写真右)

■営業本部所属の2000年ごろ、百貨店の構造改革に携わった。

バブル崩壊後、地方の百貨店経営は厳しさを増していました。アパレルなど取引先からの"逆選別"に遭い、地方に商品を回してもらえなくなりました。そこで本部で商品を一括仕入れして地方店に流す仕組みを考案しました。

根本的に間違っていました。お客さんから見ると商品は何も変わっていなかったのです。我々はプロセスを変えただけで、ビジネス自体を変えたわけではありません。当時から衣料品の売り上げは落ち込んでいましたが、結局、売れ筋は都心店にしか届かず何も改善しませんでした。私が社長になってからこの仕組みは取りやめました。

■現場に戻りたいと懇願。07年、食品部門に異動する。

過去の経験を生かし、食品フロアの入れ替えや意識改革に着手しました。当社との取引が長い菓子店がありました。菓子の賞味期限は品質を重視すると1日程度しか持ちませんが、効率性を重視し7日程度持つ商品も販売していました。これらの品質を上げるよう菓子店を説得しました。

これに対し「こんなことを言われたのは初めてだ」と激怒。社内の担当者からは「おまえは生意気だ」と怒鳴られました。でも、立川店などで妥協して失敗したことを二度と繰り返すまいと譲りませんでした。

謝りながらも「百貨店に求められる品質を満たさないと受け入れられませんよ」と店側を説得しました。最後は「そこまでこだわるならやってやるよ」と納得してもらえました。その菓子店は今も人気店として残っています。

■三越と伊勢丹の統合後の11年、2つの食品部門を統括する立場となる。

統合してから1~2年は文化の違いからか意地の張り合いでなかなかまとまりませんでした。強制的に両者をまたぐ人事を実施し、話し合わせようと思いました。食品担当者でも自分の扱っている商品以外に関心がないことが問題でした。

例えば、イタリアの催事担当者に「モンゴル人は何を食べている?」と聞いても何も知らなかったのです。毎月1回、両社の出身者30人ほどと世界中の料理を食べに行きました。私の席の後方に世界地図を張り、料理を食べた国を塗りつぶしていきました。壁が取り除かれていきました。

この後、役員として経営戦略のトップなどを務めましたが、考え方の出発点は昔と同じです。従来の百貨店のままでは生き残れません。百貨店に求められている事業モデルへの転換に妥協はいりません。

あのころ……

デザイナーズブランドブームで衣料品の売り場を広げてきた百貨店だが、地方の地盤沈下は想定以上に加速。2007年に大丸と松坂屋が統合しJ・フロントリテイリング、08年に三越と伊勢丹が統合し三越伊勢丹ホールディングスが発足するなど百貨店の再編につながった。

[日本経済新聞朝刊 2019年11月12日付]

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