なぜ子を虐待するのか 孤立や焦り深める「心の病」
親が子を虐待し、時に死に至らしめるような痛ましい事件が相次いでいる。子の心身の傷は深いが、虐待する親の側も心の病をもつ場合が多い。早めに気付き、治療や支援をすれば虐待を防げる可能性もある。
「いけないとわかっていても、つい子どもをたたいてしまう。どうしたらいいのか」。福井大学医学部付属病院子どものこころ診療部を受診した30代の母親は友田明美診療部長(同大教授)と話すうちに少しずつ心を開き、涙ながらに訴えた。ストレスを感じ、うつの状態に陥って自信をなくして息子に手を出してしまったという。
子育てに追われているとき、心の状態にかかわる脳の働きには変化が起きる。友田部長らは就学前の子どもを育てている健康な母親30人の協力を得て、その様子を調べた。大人の顔写真を見せて感情を推測する課題を与え、回答時の脳の働きを機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)で測定するとともに、過去2週間の「気分」がどうだったかを記入してもらった。
すると、抑うつ傾向が強いと答えた人は、課題の実施中に右半球の下前頭回(かぜんとうかい)という部分の活動が低下していた。大脳の前頭前野にあり、相手の気持ちを読み取る能力と密接に関係する部分だ。課題の成績自体は落ちていなかったので、画像検査によって能力が実際に低下する前の「兆候」をとらえたとも言える。
こうした能力の低下が起きると家族や地域の人たちに子育ての相談をしたり、互いに協力しあったりしづらくなるおそれがある。結果として自分を追い込み、虐待につながることもあり得る。より簡便な方法で定期的に検査できる仕組みができれば、「親のストレスが深刻化する前に支援の手をさしのべることが可能になる」(友田教授)。
国立成育医療研究センターこころの診療部の立花良之部長によると、精神疾患は母親による乳幼児虐待の重要なリスク因子だ。なかでも「発達障害」と「衝動コントロールの不全」を重視している。1800人近い妊婦を対象にした世田谷区の調査データを分析すると、発達障害のうち「自閉スペクトラム症」や「注意欠陥多動性障害」(ADHD)と虐待との間に統計的な関連性がみられた。
ADHDは身体的な虐待に、自閉スペクトラム症は育児放棄などのネグレクトに、より関係が深い傾向があるという。ただ、ADHDと衝動コントロール不全が重なる場合もあり、因果関係は複雑だ。「精神疾患があるからといって実際に虐待リスクのある人はあくまでごく一部で、孤立して精神的に追い詰められるなどさまざまな要因が絡む」(立花部長)
金井剛・三重県立子ども心身発達医療センター長は「子の虐待は親からのSOS信号。背景に精神疾患があるなら治療して安定な状態にもっていく必要がある」と指摘する。前に勤めていた児童相談所で「子どもを階段から突き落とそうと考えるだけで快感を覚える」と母親に打ち明けられたこともある。しかし、精神が安定すると子どもの体調を心配する優しい顔を見せたという。
近年は父親や継父による虐待事件も目立つ。精神疾患に仕事のストレス、「父の役目をしっかり果たさなければ」という気負いや責任感が重なっているケースもあるのではないかと金井センター長はみる。これまで、母による虐待が多かったのは養育負担が母に偏っていたのが主な理由のようだ。「男性が育児参加するにつれ、父親による虐待も増えるのではないか」(福井大の友田教授)
虐待する多くの親に共通するのは「孤立感と余裕のなさだ」と金井センター長はみる。うつやADHDなどは、こうした状態を強めうる。「患者が自身と相性のよい精神科医と出会い、治療を受け続けられるよう後押しが必要だ」という。
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減らせる「世代間連鎖」
幼児期に虐待を受けるとトラウマとなり、自分の子どもにも同じように虐待するケースは「虐待の世代間連鎖」と呼ばれ、よく知られている。海外の調査で、虐待を受けたことのある親の約3分の1が自身の子を虐待するとの報告がある。一方で3~4%とする説もあり、ばらつきが大きい。
虐待を受けると脳が影響を受けることがわかってきた。福井大の友田明美教授は米国で、子どものころに虐待を受けた18~25歳の男女の脳を調べた。厳しい体罰を受けた人はそうでない人に比べ、感情や思考を制御する前頭前野の一部が小さくなっていた。集中力や意思決定、共感に関係する部分の容積も減っていた。
ただ、医師やカウンセラーが過去の経験にじっくり耳を傾け、心理療法を施すなどして治療することは可能だという。時間はかかっても脳が修復すれば、世代間連鎖のリスクを減らせる。
(編集委員 安藤淳)
[日本経済新聞朝刊2019年11月4日付]
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