「救急車、早く来て!」 消防署ではなく病院から直行
全国で出動件数が増え続ける救急車の負担を減らすとともに、救急医療の質を高める動きが広がっている。地域の中核病院が「病院救急車」を運用し、緊急性の低い転院搬送を担う取り組みのほか、救急車が消防署ではなく病院で待機し医師を乗せて出動する「救急ワークステーション(WS)」が増えている。一方で、病院側の費用がかさむため、公的補助を求める声が上がっている。
「77歳男性、右手足にまひがあり、脳梗塞の疑い」。10月初旬の午後、埼玉医大病院救急センター・中毒センター(埼玉県毛呂山町)に詰めていた救急隊員の内線電話が鳴った。西入間広域消防組合消防本部の救急司令からの一報は一刻を争う。病院内で待機していた救急車に病院の医師が乗り込み、救急隊員と一緒に現場に急行した。
同センターは2016年4月、同消防組合と提携して救急WSを開設。消防署で待機する救急車を病院に常駐させ、救急救命士だけでなく、病院の医師も同乗できるためだ。
救急WSは病院が直接運営する「ドクターカー」と異なり、消防署と共同で運営するのが特徴だ。
総務省消防庁によると、18年8月時点で全国728の消防本部の15%に当たる108本部が救急WSを設置している。このうち救命救急センターのある病院の一角に24時間常駐する「常駐型」が20本部。日中だけ救急車と隊員が待機する「派遣型」が88本部を占めている。
派遣型の一つ、埼玉医大病院では患者の重症度や緊急度により医師や看護師が同乗。18年は計289件の出動のうち1割弱の19件で医師が同乗したが、19年4月からは原則同乗するようになった。
救急WSは県内では現在、草加市や戸田市でも開設されている。上條吉人センター長は「医師が治療しながら病院に搬送できて救命率を向上できる」としたうえで「救急救命士が救急医から医学的知識や技術を直接学ぶ機会が増えてスキルアップにつながるなどの利点もある」と救急医療の質向上に期待する。
07年に新潟市民病院が同市消防局と開設した救急WSは緊急度により消防司令の判断で医師が同乗するが、昨年は出動した1632件の約7割で同乗した。「最近では救急隊員が病院到着までの処置に習熟して医師との息も合ってきた」(同消防局救急課)という。
消防署の救急車が出動した1割弱は転院のための搬送だ。こうした負担を減らそうと、地域の中核病院が独自に救急車を配備して緊急性の低い転院搬送などを担う試みも進んでいる。
東京都八王子市では救急車で搬送した患者の4割以上が高齢者で、受け入れ病院がなかなか決まらない状況が続いていた。そのため14年から南多摩病院(同市)に「病院救急車」を配備し、自宅や施設で療養する高齢者が病院での治療が必要になったとき、かかりつけ医が出動を要請。市内の病院に搬送する事業を市医師会が始めた。
病院救急車には看護師1人と救急救命士2人が乗り込む。19年6月までの5年余りで1562件出動し、約1千件は転院のための搬送だったという。患者の平均年齢は75.8歳で、要請理由は(1)骨折など整形外科疾患(2)消化器疾患(3)呼吸器疾患の順に多かった。南多摩病院の益子邦洋院長は「消防救急車や救命救急センターの負担を減らすことができた」という。
一方、14年の転院搬送が9.5%で全国平均(8.3%)を上回っていた群馬県は病院救急車を地域の中核病院が導入するのを財政的に支援する制度を整備した。ほかの病院間の転院搬送にも可能な限り活用することを条件に購入費用の半額(上限1500万円)を補助している。
17年度に県からの補助を受けて救急車を購入、18年6月から運用している前橋赤十字病院は1年間に27件出動。県内では同病院を含めて計5病院が病院救急車を導入した。
県は17年、(1)緊急に高度医療が必要な患者で、その病院での治療が困難(2)他の適当な搬送手段がない(3)医師または看護師が同乗する――など5項目を盛り込んだガイドライン案をまとめ、市内11の消防本部ごとに転院搬送のルールをつくるよう求めた。
県は「県内の消防救急車の転院搬送率が下がって、救急現場への到着や病院収容までの所要時間は関東で最短となった」と効果を実感している。
課題もある。病院救急車の運用には人件費や車両の整備費、燃料代などで年間約1億円かかるとされる。前橋赤十字病院は「患者搬送は診療報酬の対象にならず、単独の病院で担うには負担が大きい。運用の経費などへの補助も検討してほしい」と求める。
東京都は転院搬送の費用の一部には都の補助があり、在宅療養中の患者には市が補助金を出している。だが南多摩病院の益子院長は「高齢者施設からの搬送は対象外」と指摘し、公的補助の拡充を求めている。
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高齢者6割、半数が軽症 出動、昨年最多の660万件超
消防白書によると、全国の救急車の出動件数は2004年に初めて500万件を超え、18年は過去最多の660万5166件に達している。約6割は65歳以上の高齢者で、入院を必要としない軽症患者がほぼ半数を占める。
急増の背景には、症状が安定した患者の転院など緊急を要しない搬送や比較的軽症の患者の利用が増えている事情がある。人口の高齢化で救急需要は今後さらに増大するとみられる。
大幅な増加に対応できず、救急車の現場到着時間は1997年の6.1分から17年は8.6分、病院への収容時間も97年の26.0分から17年は39.3分に延びた。一刻を争う重症患者への対応が遅れると、救命率の低下を招く恐れがある。
軽症で救急車の必要がない患者の搬送を少なくするため、総務省消防庁は「♯7119」に電話すれば医師や看護師、相談員らが緊急性や応急手当ての方法をアドバイスする「救急安心センター事業」の普及を推進している。だが未対応の自治体も多く、国民全体の半分程度のカバー率にとどまっている。
(編集委員 木村彰)
[日本経済新聞朝刊2019年10月21日付]
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