映画『惡の華』 こころありきのリアリズム
井口昇は、自主映画「クルシメさん」(1997年)で注目されて以後、「恋する幼虫」(2003年)、「猫目小僧」(06年)等、鬱屈した感情がシュールに花ひらく、独創的なエンターテインメントの世界を切りひらいてきた。今回は、これまでで最もメジャーな規模の作品で、彼独自の世界を実現させた。
「クルシメさん」に「魂を救われた」と言うまんが家、押見修造の作品が原作で、原作と映画作家の世界が通じあっている。
思春期の、「自分」をもてあまし、どす黒く膨張する感情が、鮮烈にえがき出される。
春日高男(伊藤健太郎)は、現在は高校(2年)生だが、3年まえ、山にかこまれた地方都市で中学生だったとき事件をおこした。
同じクラスのあこがれの少女、佐伯さん(秋田汐梨)。その体操着を、あるきっかけで春日は盗んだ。それを見ていたクラスの問題児、仲村(玉城ティナ)が春日に近づき、秘密にしておくかわりに、さまざまな要求をする。
ボードレールの「悪の華」を愛読し、ほかの男子と自分を内心、差別化していた春日を、仲村は「変態」「クソムシ」と罵倒し、その内心の悪をさらけ出せ、と命じるのだ。
メフィストフェレスのように、ときにはファム・ファタールのように、春日を翻弄する仲村。玉城ティナが最高にすばらしい。
春日は、仲村の悪魔的なちからにひかれ出す。「このまちの向こうがわ」に行きたいと願うふたり。「向こうがわ」をこのまちのなかにつくる、と意気ごむ春日。ふたりの共鳴が、やがて事件をひきおこす……。
井口昇のリアリズムは、生活感とか日常性などを基盤としていない。まず、こころありき。こころが、立って動いている、それが人物だ。そういう彼の描写のありかたが判然とした。2時間7分。
★★★★★
(映画評論家 宇田川幸洋)
[日本経済新聞夕刊2019年9月27日付]
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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