熊川哲也のバレエ「蝶々夫人」 西洋と和の融合に挑む
熊川哲也率いるKバレエカンパニーが20周年の節目に、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」を全幕バレエ化した。熊川は演出・振付・台本の3役を務め、西洋文化と日本文化の融合に挑む。
「出会いのシーン、やろうか」。今月12日、東京都内にあるKバレエカンパニーの稽古場。熊川が声を掛けるとプッチーニの叙情的な曲が流れる。米海軍士官ピンカートン役の堀内將平が桜の枝を差し出すと、蝶々夫人役の矢内千夏がためらいながら受け取る。「一度桜を見た方がいい」。熊川の細かい指導が入る。
日本舞踊の動き
男女2人で踊るパ・ド・ドゥの最後、すり足で進んだ矢内がS字カーブを描くように首を動かしながら、ピンカートンを振り返る。わずか数秒だが、日本舞踊を思わせる動きで、稽古場に「和」の雰囲気が立ちのぼった。
「蝶々夫人」は開国間もない長崎が舞台。士族の娘の蝶々夫人は家が没落し、遊郭に身を置く。長崎に赴任したピンカートンに見初められて結婚。親族の反対を押し切りキリスト教に改宗して愛をささげるが、やがて夫は帰国し、元の婚約者と結ばれる。帰国後に生まれた息子と2人、夫を待ち続ける姿を描く悲劇だ。
熊川がオペラを題材にするのは、2014年の「カルメン」に続き2作目。オペラの音楽・構成をほぼ踏襲した前作と異なり、オペラにはないピンカートンの米国時代や、蝶々夫人との出会いのシーンを加えることによって、物語にさらに起伏をつけた。
日本を舞台にした作品は初の試みで「今までで最も苦労した」と熊川。名曲「ある晴れた日に」の美しさに心を揺さぶられて着手したものの、バレエの「洋」と、舞台となる日本の「和」を融合するうえでの壁は想像以上に高かった。「バレエは外、日本舞踊は内へと向かう動きが基本で真逆。そのうえ日本人の自分が日本人を描くことをものすごく重く感じた」
吹っ切れたのは、日本の形式美を無理してまで忠実に表現しないと決めてから。男性が相手を高く持ち上げたり、回したりするのはどうしても日本古来の身体表現とはなじまない。「動きではなく、和のスピリット、メンタリティーを入れればよいという結論に行き着いた」。日本女性らしい感情表現に重きを置いたうえで、内股や手のひらを天井に向けるなど、バレエでは通常使わない「和」の所作を要所で取り入れた。
矢内は、18年に22歳の若さでプリンシパルに昇進したホープ。「天才的なセンスで作品の世界に入れる」と熊川の信頼は厚い。物語性を重視する演出にふさわしいダンサーといえる。「日本女性特有の感情を押し殺すところがキーポイント。言葉をのみ込んだり、一歩下がったり、という表現を意識している」と矢内。
衣装は読売演劇大賞優秀賞などを受賞した前田文子が手がける。着物をモチーフにしつつ、下半身はシフォンなどの軽やかな素材で動きを妨げない。舞台美術のダニエル・オストリングは、ピンク色に浮かび上がる遊郭などシンプルかつ大胆な装置で舞台を彩る。
後進の育成に力
名門英国ロイヤル・バレエ団で最年少ソリストに抜てきされた熊川が、帰国後に26歳でKバレエカンパニーを設立してから20年。公的助成金に頼らず、毎年約50公演と観客動員約10万人を続けている。
07年には大けがで降板する試練に見舞われる。しかし、カリスマ的な人気を誇る自身が出演しなくても、観客を呼ぶ体制を築く好機ととらえ、組織作りと後進の育成に力を注いできた。04年に入団し、今季から新設したポストの常任振付・レペティートルに就いた宮尾俊太郎は「誰もやっていないことに挑戦し続けてきた」と熊川をたたえる。
「いつも完璧という領域を目指している」と強調する熊川は「20周年にふさわしいものになった」と自信をみせる。「マダム・バタフライ」は27~29日にBunkamuraオーチャードホール(東京・渋谷)、10月10~14日に東京文化会館大ホール(同・台東)でキャストを入れ替えて上演する。
(佐々木宇蘭)
[日本経済新聞夕刊2019年9月24日付]
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