辻仁成のカジダンへの道 男子は厨房から人生学べ
「男子厨房に入るべからず」という古い言葉がある。調べてみると、孟子の「君子遠庖厨(ほうちゅう)」(君子は厨房に近づかない)から生まれた言葉のようである。男は炊事などしないで、自分の仕事に精をだせ、という意味のようだが、今の時代には当てはまらない。なので、僕は自分の息子に「男子たるもの厨房から人生を学べ」と教えている。
うちの子は15歳、フランスの高校生だ。小学生の頃から父との二人暮らしなので、彼は男親が料理をすることに違和感を覚えない。むしろ、キッチンは世界を知る哲学の場所だ、料理は人間が生きる全てのコツを教えてくれる人生道場だと教えてきた。
週末は一緒に並んで厨房に立ち、オヤジ飯を伝授している。料理をしている最中、その食材の大切さを、食べるものの中にある歴史や伝統を教えている。また、栄養の大切を説くことで生きる上で重要な健康についても彼は自然と学んでいるという寸法である。
息子には幼い頃から包丁を持たせた。それを恐れて持たせないより、包丁の怖さをきちんと知って、生き物を調理することを伝えることで、生きることの大切さを彼は料理を通して学ぶことができてきた。もちろん、まだ魚は三枚におろせないが、父が魚を下ろす生々しい光景もきちんと凝視できる。
鶏肉は一匹丸ごと買いそれを解体するのが辻家のやり方だが、その手順などもすべて見ている。生きているものを食べるので絶対に残してはいけないと教えてきた。それが彼の食生活や人生観に大きな影響を与えている。
彼は健康に心掛け、食べ物を残さず食べ、スポーツをし、精神的にも安定した心を手に入れることができた。これらは全て厨房で彼自身がつかんだことである。男子は厨房にまず入って、人間が生きることのイロハを学ぶ必要がある。
カジダンという言葉はまさに僕の厨房哲学ともマッチしている。僕は仕事場にいるよりもキッチンにいることの方が多い。何か人生で苦しい局面にぶつかると、キッチンで米を研ぐ。窓外に広がるパリの空を眺めながら、このかまびすしい世界の雑念を振り払う。一心に料理に向かう時、心は整理されて、安定する。
そうやって丁寧に丁寧に作った料理を息子と食べる。あるいは、息子と彼の恋人の話や学校の話なんかをしながら父子の絆を強化していく。そこは癒やしの場であり、人生を立て直す修行場でもあるのだ。男子たるものまず厨房に立て、と僕は言いたい。
1959年生まれ。81年、ロックバンド「エコーズ」を結成。97年「海峡の光」で芥川賞。99年「白仏」の仏語版でフェミナ賞外国小説賞。映画監督としても活動する。パリ在住。
[日本経済新聞夕刊2019年9月24日付]
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