再現「江戸前ずし」 拳大の赤シャリ、ほんのり甘み
1年後に迫った東京五輪・パラリンピック。日本の食文化を発信する機会にもなる。世界的に有名な「SUSHI」だが、そもそも「江戸前ずし」とは何なのだろう。
江戸時代の「再現ずし」を体験できる店がある。深川すし三ツ木(東京・江東)もその一つ。握り6貫に巻物がついて2000円で提供する。記者も試食してみた。
まず驚くのはシャリ(酢飯)の量だ。一貫50グラムと拳ぐらいの大きさで食べるのも一苦労。現在は一般的に10~15グラムだというから約3倍になる。
シャリの色も違う。酒糟(かす)から造る糟酢(赤酢)を混ぜるため、少し赤みがかっている。酢と塩のみで、現代と違い砂糖を使わないのが特徴だ。うまみが強く、砂糖がなくともほんのり甘い。酢特有のツンとした感じはなく食べやすい。大きいので食べきれないかと思ったが、意外とすんなり食べられた。
タネ(魚などの具材)はいずれも下処理(仕事)が施されている。塩と酢でしめるなど「冷蔵技術がなくても日持ちするよう工夫していた」(主人の三ツ木新吉さん)。
そもそも江戸前ずしの定義は何だろうか。すし職人を養成する「東京すしアカデミー」(東京・新宿)によると、もともとは江戸城の前の海や川でとれる海産物をタネにしたすしを指していた。しかし「江戸前」の範囲は徐々に拡大していった。
江戸時代後期には「品川洲崎と深川洲崎を結んだ内側」、明治には「神奈川県境の多摩川河口と千葉県境の江戸川河口を結ぶ線」といった記述がある。
現在は水産庁が「三浦半島の剣崎と房総半島の洲崎を結ぶ線の内側」と定義しているが、最近はタネの産地と無関係に「握りずしイコール江戸前ずし」として使われることも多い。
愛知県半田市のミツカンミュージアムは江戸時代のすし店を再現した。館長の榊原健さんは「すしは現代でいうファストフードのような存在。ぱっと食べて出る屋台のイメージだった」と話す。
当時の価格は1貫8文。現代だと160円ぐらいだという。コハダやクルマエビ、赤貝が人気だったそうだ。
郷土料理の一種だった江戸前ずしが、どうして全国に広がったのだろうか。
すしの魅力を発信するウェブサイト「すしラボ」を運営する赤野裕文さんは「終戦が大きなきっかけ」と話す。外食が禁止されていた当時、客が米1合をすし屋に持ち込めば、1人前(10個)の握りずしに加工してもらえる「委託加工制度」を東京のすし店の組合が生み出したという。「東京に倣えと全国に普及していった」(赤野さん)
世界的に有名なすしだが、ルーツが東南アジアだということはあまり知られていない。3~4世紀頃に日本に伝わったとされる。魚を米と塩で漬け込んで熟成させる製法で、滋賀の鮒(ふな)ずしなどに形を残す。
現在のように「シャリとタネを一緒に食べる主食」に変化したのは江戸時代中期。「誹風柳多留」に「妖術という身で握るすしのめし」という句が残されている。握りずしを考案した人物は諸説あり定かではないが、華屋与兵衛という職人がスタイルを確立したとされている。
かつて江戸前には安くておいしい魚がたくさんいた。遠洋漁業をしなくとも東京湾で小型のマグロもとれていたという。湾岸の開発で埋め立てが進み、五輪会場の水質問題も取り沙汰されているが、おいしいすしを食べたいという気持ちは今も昔も変わらないようだ。
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「五輪で江戸前の魚を」漁師も工夫
五輪では2012年のロンドン以降、資源や環境に配慮した持続可能な手法であることが水産物提供の条件とされた。東京五輪の開催が決定した際の状況では、選手村で供される江戸前ずしのタネの大半が欧州産になる可能性があったという。水産会社の海光物産(千葉県船橋市)は産卵期の漁は控えるなど工夫し、東京五輪で水産物を提供するための条件となる国内認証「マリン・エコラベル・ジャパン」を取得した。同社の大野和彦社長は「江戸前の魚の素晴らしさを世界に発信するきっかけになれば」と意気込む。五輪が日本の食文化伝承の転機になるか。
(大城夏希)
[NIKKEIプラス1 2019年9月14日付]
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