大森立嗣監督「タロウのバカ」 生の凄みと死の匂い
大森立嗣(たつし)監督が宿願の映画を撮った。どの社会にも属さない自由な少年と2人の青年が暴走する「タロウのバカ」。大森が一貫して追ってきた生の凄(すご)み、そして死の匂いが充満している。
高速道路の脇の広大な草っ原を、破れたランニングシャツを着た少年が駆け回っていた。昨秋訪ねた千葉県木更津市の大森組の撮影現場。これがデビュー作となる15歳(当時)のモデルで主演俳優のYOSHIはいっときもじっとしていなかった。靴を飛ばして追いかけたり、大駱駝艦(だいらくだかん)の白塗りの舞踏手をまねたり、大森の膝に座ったり……。
主人公のタロウは母親から育児放棄され、学校に行ったことがない。どの社会にも属さない。そんな野生の少年そのものなのだ。「いつもこんな感じですよ」と大森は鷹揚(おうよう)に構えている。
白塗りの舞踏手たちが原っぱに現れた。いよいよ本番だ。十数人の舞踏手が輪になり、火のついた長い棒をもつ。カメラが回る。リヤカーをひく男が唱える。
「天国が手の届くところに見える――」
タロウと2人の青年がその前を歩いていく。金髪の高校生エージ(菅田将暉)、その同級生スギオ(仲野太賀)。3人の顔はアザだらけだ。エージがつぶやく。
「生きてる人と死んでる人、どっちが多いかっていったら死んだ人だよな」
怒りと暴力衝動
「タロウのバカ」(9月6日公開)は1970年生まれの大森が20代半ばの助監督時代に初めて書いた脚本に基づく。師の荒戸源次郎プロデューサーが「面白い」と言った脚本だが、監督デビュー作は荒戸の勧めで原作ものの「ゲルマニウムの夜」(2005年)になった。ただ両作が描く青年の暴力衝動は似ている。
タロウ、エージ、スギオは広大な河川敷のある町で自由奔放に遊んでいる。怪しげな介護施設で半グレの男にヤキを入れられたエージは、タロウとスギオを引き連れ、男を襲って銃を奪う。銃に興奮するエージとタロウ。生の実感のなさにいらだつ3人の暴力はエスカレートしていく……。
「世界に対して、日本に対して怒っていた。虚飾にまみれて生きることに対して憤慨があった」。大森はこの脚本を書いていた90年代半ばごろを振り返る。「バブルをリアルに感じたことは一度もなく、大学卒業の頃ははじけていた。その後の浮遊したような、はっきりしない時代、個に向かう時代も好きになれなかった。生きにくかった」
「あらゆるものに付加価値が付けられる。情報が多すぎて自分で判断できなくなる」。そんな時代へのアンチテーゼとしてタロウを考えた。「タロウは人間そのもの。野生動物のように、ただそこにいる。シマウマに食らいつくライオンのように。善悪があるわけじゃない。ただそこにあることの凄みを見せたかった」
タロウ、エージ、スギオは「自分の分身」とも言う。通った中学が荒れていた。「一歩間違うとこういう世界に行っていた。道徳の通用しない無法地帯。アナーキーな恐怖感があった」
死の匂いと裏腹
タロウが体現する「生の凄み」は「死の匂い」と裏腹だ。大駱駝艦の死のイメージは、東京大空襲の大量死の記憶に重なる。「高度経済成長は日本から死の匂いを消していった。戦争で多くの人が死んだことを忘れたかったのだろう。しかしそのために人間が生き物であるということまで忘れてしまったのではないか」
社会から隠蔽された「死」は95年の阪神大震災や地下鉄サリン事件で再び顔を出す。しかしその後の「死の匂いを忘れようとする力がすごかった」。米同時多発テロの後も、東日本大震災の後も同じことを感じた。「死の匂いに触れることへの恐怖、金銭的な豊かさへの渇望はますます強まっているんじゃないか」
大森は「貧困やネグレクトといった社会問題より、その先にある大きな物語をつくりたい」と語る。「愛であったり、死であったり。社会の枠の外にある、普段は触れられないものに触れてみたい」。そのために「他者と向きあう。わからないものとどう向きあうかが大事だ」と考える。
「日本はどんどん異物排除社会になっている。同じ匂いの人と、同じ場所にいようとする。考えが違うことを許さない。わからないものは排除する。ほぼファシズムに近い。危ないよ」
(編集委員 古賀重樹)
[日本経済新聞夕刊2019年8月26日付]
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