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白石和彌監督 「ひとよ」で挑む家族崩壊と再生の物語

2019/7/30付 日本経済新聞 夕刊

(左から)演出する白石和彌監督、松岡茉優、佐藤健(茨城県神栖市)(C)2019「ひとよ」製作委員会

「凶悪」の白石和彌監督が、家族の物語に挑んでいる。子供を守るために夫をあやめ、15年ぶりに家に戻った母親と、大人になった子供たちの再会を描く「ひとよ」。撮影現場を訪ねた。

鹿島臨海工業地帯が広がる茨城県神栖市。国道沿いのタクシー会社で「ひとよ」の撮影が進んでいた。主舞台であるタクシー会社の場面のために、本物のタクシー会社を借りたのだ。駐車場も営業所も本物。家具や調度品、貼り紙、通りを走る車の音までリアルだ。

猛暑となった5月17日。午前中は営業所の室内で母こはる(田中裕子)が新人運転手の堂下(佐々木蔵之介)と話す場面を撮る。毛糸のベスト、老眼鏡をかけた田中は50代後半の設定で、すっかり白髪だ。こはるは次男の雄二(佐藤健)が書いたゴシップ雑誌のパチンコ記事を読んでいる。

こはるは15年前にこのタクシー会社の駐車場で、夫をひき殺した。夫の暴力から3人の子供を守るためだった。こはるは自首し服役。会社は実兄が引き継いだ。そして子供に約束した通り、15年ぶりに戻ってきた。

子供の将来のためにあえて罪を犯したこはる。その自信と強さを堂下が称賛する。こはるは否定し、うつむいたまま続ける。「今ね、自分のしたことを疑ったら……、私が謝ったら、子供たちが迷子になっちゃう」

■母の死きっかけ

母親役の田中裕子

「いいですよ。田中さん」。モニターをのぞく白石がうれしそうにつぶやいた。桑原裕子の戯曲の映画化を構想し、脚本を作り始めたのが3年前。まず田中にこはる役をオファーし、スケジュールが空くまで待った。「人としての存在が美しく、物語を美しくしてくれる。こちらも背筋が伸びる感じです」と白石。

「凶悪」(2013年)、「孤狼の血」(18年)など強烈な暴力を描いた作品で評価を得た白石だが、家族の物語に正面から挑むのは初めて。「家族を描くことが避けて通れないと思うようになった」という。

きっかけは7年前の母の死。疎遠にしていた弟は死に目に会えず「兄弟って何だろう」と考え始めた。思い至ったのが「うまくいってない家族、バラバラになった家族が、一つになるわけではないが、何かを取り戻していく物語」だった。

■テーマは普遍的

「母親は子供たちの将来を考えて罪を犯した。それなのに子供たちはなりたい者になれていない。設定はショッキングだけど、テーマは普遍的ではないか」と白石。母親の思惑とは裏腹に、成長した子供たちは母親の影にとらわれ、それぞれに葛藤を抱えている。

長男の大樹(鈴木亮平)は人と話すのが苦手で、妻に離婚を迫られている。長女の園子(松岡茉優)は美容師の夢を諦め、スナックで働いている。そして雄二は兄妹と連絡を絶ち、母を憎みながら、東京でしがない雑誌記者をしている。

午後の駐車場のシーンで家族の愛憎が露呈した。

こはると雄二、園子らが葬式から帰ると、タクシーがすべてパンクしている。修理していた女性運転手のモー(韓英恵)が、嫌がらせでまかれた紙を隠す。「聖母は殺人者だった」という見出しの暴露記事のコピーだ。

こはるが手に取ったコピーを、園子が取り上げ、捨てる。そして言い放つ。「この記事書いたの雄ちゃんだよ」。雄二は伏し目のまま、家に入っていく……。

テストを重ねた後の本番。暴露記事のコピーの束がゴミ箱にうまく入らず、地面に散らばってしまった。風に舞う紙を田中がとっさに拾う。韓も手伝う。白石はカメラを止めない。

脚本にないハプニングだが、すばらしいショットになった。暴露記事を拾おうとかがんだ母親の背中にいわく言い難い哀感が漂う。

「映画が脚本と演出を超えた瞬間でしたね」と白石。映画の神様がほほ笑んでくれたのだ。撮影を終え、編集中。11月8日公開。

(編集委員 古賀重樹)

[日本経済新聞夕刊2019年7月30日付]

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