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アジアの貧困・格差… 女性監督が映す現代の矛盾

2019/7/22付 日本経済新聞 夕刊

ベイルートで撮ったナディーン・ラバキー監督「存在のない子供たち」

ベイルートとムンバイ。それぞれの都市に、貧困や格差など世界の諸相を映す新作映画を見た。共に40代女性監督の作品。政治・経済的に激変するアジアの都市に現代の矛盾が詰まる。

レバノンの首都ベイルートの貧困地区に住む少年ゼインは、両親が出生届を出さなかったため法的には存在しない。学校に行けず、妹たちと共に働かされ、路上で物を売る毎日。妹は11歳で結婚させられ、怒ったゼインは家を飛び出す。

ゼインはエチオピア人の女性清掃員ラヒルと知りあい、その子守をしながら共に暮らす。だが不法移民のラヒルが突然拘束される。赤ん坊を抱えて街をさまようゼイン。シリア難民の救護所に紛れてミルクをもらい、薬物を売りさばき、欧州行きを目指すが……。

■都市の苛烈な生活

ナディーン・ラバキー監督「存在のない子供たち」(公開中)は、この都市の貧困層と移民の苛烈な暮らしをリアルに描く。それもそのはずだ。ゼイン役はじめ、大半の出演者は実際の貧困地区の住人や不法移民など、似たような境遇の素人が演じているのだ。

「ワイルドな街頭キャスティングだった」とラバキー。オーディションでは集まらないから、スタッフが貧困地区や移民キャンプに足を運んだ。監督がつくった質問を投げかけ、カメラの前で経験を語ってもらう。ゼイン役の少年は路上で育ち、読み書きができないが「年齢以上の聡明(そうめい)さを感じた」という。

撮影中も事件が起きた。ラヒル役の女性と、赤ん坊役の1歳児の実の両親が、不法滞在で逮捕されたのだ。監督が保証人となって3週間後に釈放されたが、1歳児はスタッフが世話し、撮影を続けた。「現実と映画が隣り合わせで、脚本が現実になった」

「彼らに演技はいらなかった。私たちが彼らのパーソナリティーに合わせた。彼らは経験をそのままぶつけ、現実の人生に撮影隊が入り込んでいった」

ラバキーは1974年、ベイルート生まれ。幼少期の内戦、近年の難民流入による経済的苦境を肌で知る。「レバノンは小国なので大国と違い、路上で暮らす子供たちと直面せざるを得ない。そんな子供が世界中で増えている。それ自体が犯罪だが、目を背けるのも犯罪に加担することだ。何かをしよう、映画には見えないものを可視化する力がある、と考えた」

2018年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を獲得した。原題「カペナウム」はイエスが奇跡を起こしたが、人々が悔い改めなかった街。フランス語で混沌、修羅場を意味する。まさに世界の混沌が映っている。

■変わらぬ社会の闇

「あなたの名前を呼べたなら」(8月2日公開)の舞台はインド・ムンバイ。「多くの人が夢をもってやってくる夢の街。株式市場やボリウッドがあり、人種のるつぼでもある」とロヘナ・ゲラ監督は説明する。

ムンバイが舞台のロヘナ・ゲラ監督「あなたの名前を呼べたなら」

ラトナは住み込みのメイド。夫を亡くし、デカン高原の実家からムンバイに出てきた。雇い主のアシュヴィンは建設会社の跡取りだが、婚約者に逃げられたばかり。米国暮らしが長く、高級マンションで孤独に暮らすアシュヴィンは、デザイナーになる夢をもつラトナにひかれる。

急速に近代化するムンバイだが、2人の間には様々な壁が立ちはだかる。夫が死んでも嫁を縛る婚家、身分違いの恋を白眼視する社会、絶望的な経済格差。表面は変わっても、社会の内実は簡単に変わらない。その矛盾があらわになる。

原題は「サー」。召使が主人を呼ぶ敬称だ。アメリカナイズされたアシュヴィンに対して、ラトナは「サー」としか呼べない。

映画のような階級を超えた恋は現実ではあり得ないという。少なくとも公にはできない。「それこそ私が伝えたいこと。なぜダメなの?」とゲラ。「地に足がついた2人を理解し、好きになってほしい。同時にインドの複雑な社会制度を知ってほしい」

ゲラは73年生まれ。デカン高原の都市プネーで育ち、米国の大学で学んで、ムンバイで映像の仕事に就いた。この第1作をボリウッドで作るのは難しく、フランスの助成金を得て自主製作した。「インドの女性監督はまだ少ない。製作者や配給業者に女性が増えるといい。私は女性の物語をつづりたい。理解者がもっと増えてほしい」と語った。

(編集委員 古賀重樹)

[日本経済新聞夕刊2019年7月22日付]

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