建機販売、沸き立つ中国市場でルール整備日立建機社長 平野耕太郎氏(下)

中国では野球で天津ライオンズのスポンサーになるなど企業の社会的責任(CSR)にも力をいれた(05年、右が本人)
中国では野球で天津ライオンズのスポンサーになるなど企業の社会的責任(CSR)にも力をいれた(05年、右が本人)

中国市場で代理店を行脚する。

2004年、上海の販売子会社に販売企画本部長として出向しました。中国市場の建設機械需要が急速に伸びた03年の翌年です。まず取り組んだのが代理店の販売ルールの作成。98年に1千台程度だった上海の販売会社の販売台数は03年に4千台に急拡大。当時のインフラ投資は過熱気味でした。建機の展示会には多くの購入者が札束を持って集まっていました。

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ただ、買い手の中には昨日まで農家をしていたような人も交ざっていました。油圧ショベルの先につけるバケットを勝手に規定以上のサイズにつけ替える顧客もいました。日立ブランドを守るため、機械の使い方やメンテナンスの頻度、分割払いの方式などルールを作り、中国人の営業マンと客先を行脚しました。

インフラ不足を実感する。

中国を歩いて驚いたのは、圧倒的に建設現場の建機が足りないことです。例えば道路工事。建機が1つの現場にとどまらず、粗く掘った先から移動し、その後5~6人が人手で現場を整えていました。

インフラも不十分。日本食もスターバックスもある上海から飛行機で1時間強の合肥工場の近くは、地下鉄がなく、街は大きいのですが車とバスと牛が行き交っていました。当時はトイレも水洗ではなく、互いの上半身が見える状態で横並びで用を足していました。

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