架空の五輪画であぶり出す東京の姿 風間サチコの木版

大作「ディスリンピック2680」の前で、28枚組み合わせた版木の1枚を手に立つ風間サチコ(東京・馬喰町のギャラリーαM)
大作「ディスリンピック2680」の前で、28枚組み合わせた版木の1枚を手に立つ風間サチコ(東京・馬喰町のギャラリーαM)

美術家・風間サチコの制作の原動力は世の中に対する違和感、懐疑心、そして怒りだ。権力の横暴、同質化を迫る組織など日本社会の体質をブラックなユーモアを交えて木版画に刷り上げる。

快活に笑い、よくしゃべる。それだけに風間の口からこんな言葉が飛び出すと、ちょっと驚く。

「世の中の出来事への嫌悪感、なんか違うというネガティブな気持ちから作品をつくる。怒りがこみ上げてきて、復讐(しゅう)に近いことしてやりたいという激しい感情が生まれる」

優生思想に嫌悪感

東京・馬喰町のギャラリーαMで個展「東京計画2019 Vol.2 風間サチコ」が開催中だ。1964年の東京五輪開催前に建築家の丹下健三が究極の東京の発展モデルとして発表した都市計画案「東京計画1960」にちなんで、東京都現代美術館の藪前知子学芸員が企画した。5組のアーティストの個展を連続開催し、2020年の五輪を目前に控える現代の東京の姿をあぶり出すのが趣旨だ。

風間の展示では、昨年発表した縦2.4メートル横6.4メートルの大作「ディスリンピック2680」が強烈な存在感を放つ。

1940年、日中戦争のまっただ中で国家総力戦を目指す日本では優生思想に基づく国民優生法が成立。「不良」な子孫の出生を抑える一方、皇紀2600年にあたる同年には幻に終わった五輪も計画されていた。「優生法を健康至上主義のオリンピックと重ねてみたら、おもしろいのではないかと思った」と風間。ディストピア(反理想郷)で開かれる架空の五輪という構想はこうして導かれた。

画面左に描かれるのは「甲」チーム。青年たちが一糸乱れぬ隊列で行進する傍らで、最優秀に選ばれた遺伝子の祝砲が太陽に向けて打ち込まれる。中央では「乙」チームの女性たちが、従順さを身につける訓練に明け暮れる。そして画面右には国策の「人柱」とされる丙丁戊の人々――。

「悪いこと、非道なことが行われようとするとき、なぜ止める力が働かずに進んでいってしまうのか。そこには人々の心をとらえてやまない“魅力”があったはずで、それが何だったのかを考えたかった」と話す。当時の状況を知るために古書や雑誌、絵はがき、優生法が手本にしたナチスドイツに関する本など膨大な資料を収集、4年かけて読み込んだという。

優生法は戦後になると優生保護法に改められ、より多くの人々に不妊手術を強制した経緯がある。果たして、優生思想につながる差別や、弱者を排除する空気はその後社会から一掃されたのか。「ディスリンピック」は皇紀2680年、つまり2020年の前夜を生きる私たちにそんな問いを投げかける。

魂かけた1枚

1972年生まれの風間はぜんそくがきっかけで、小学3年から不登校になった。「義務教育では3分の1しか学校に通えず、王道ではなく道のはじっこから斜めにモノを見るクセがついた」と自らを分析する。

「いまも年がら年中家にいてネットやテレビで情報収集しますが、政府のいうことをうのみにする人があまりに多いですね。それに異を唱え、足並みを乱す人たちを悪ととらえているのが気持ち悪い」。違和感を覚えるのは、個人を人とみなさず統制しようとする権力、そして同化を求める集団や社会。それらへの小さな懐疑心が制作の「燃料」になるという。

木版画は複数を同時に制作できるのが利点だが、風間が刷るのは1枚だけ。「絵を描くように1枚に魂を込めてます。だから私は版画家ではなく美術家」と語る。28枚の版木を組み合わせた「ディストピア」の制作には半年かけた。

「一人で黙々と彫り、25年前に手作りした竹皮のばれんで刷る。大変な作業だけれど、単純でナンセンスであるほど作品が強靱(じん)になるような気がするんです」。個展は7月13日まで。

(編集委員 窪田直子)

[日本経済新聞夕刊2019年6月17日付]

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