映画『ハウス・ジャック・ビルト』人間を揺るがす冷酷
掛け値なしの傑作だ。だが、気の弱い方はご覧にならないほうがいい。現在の世界映画で一番危ない監督ラース・フォン・トリアーの面目躍如である。残酷描写や流血趣味なら、もっと激しいスプラッター(血しぶき映画)はいくらでもある。トリアーの映画には、人間であることの根拠を揺るがす、恐ろしく冷たい視線がひそむ。そこが見る者の背筋を寒くさせる。
舞台は1970年代のアメリカ北西部。主人公の技師ジャック(マット・ディロン)は、雪道で車が故障して困っていた中年女性(ユマ・サーマン)を自分の車に同乗させるが、その不快な饒舌(じょうぜつ)にうんざりして、ジャッキで撲殺する。
以後、保険調査員と偽って家に入りこみ一人暮らしの女性を絞殺したり、交際中の女性とその2人の幼い連れ子を狩猟に見立てて射殺したり、幾多の犯行を重ねる。食品用の冷凍倉庫を買いとって死体を保存し、死体を用いた写真を撮って、新聞社に送る……。
ジャックは自分を芸術家だと考え、湖畔の土地に理想の家を建てようともしている。自分の殺人は、貴腐と呼ばれる最高級ワインを作りだす腐敗や、崩壊して初めて真の美しさに達する廃墟(はいきょ)のための建築と同じく、善悪を超えた芸術行為だというのだ。
この映画の特徴は、全編がジャックともう一人の男(ブルーノ・ガンツ)の対話によるナレーションで進行するところだ。ここには大いなる仕掛けがあって、この男の正体が分かった瞬間、本作はある偉大な古典文学を下敷きにしていることが判明する。そうして一転、この映画は異界めぐりのファンタジーと化すのだが、そのラスト10分ほどの美しさは、まことに筆舌に尽くしがたい。
挑発に挑発を重ねて人間の条件の彼方(かなた)に向かう。トリアーの特異な資質が十全に発揮された問題作だ。2時間32分。
★★★★
(映画評論家 中条省平)
[日本経済新聞夕刊2019年6月14日付]
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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