社会に出たら大切なこと 「信頼関係が味方をつくる」
池上彰の大岡山通信 若者たちへ
今春、働き始めた若者たちは職場になじんできたころでしょうか。私も記者人生で幾度も挫折や失敗を経験しました。世界は異なりますが、働き続ける上で大切にしたいことに大きな違いはないでしょう。就職活動中を含め、人生の出発点を迎えた若者たちにそんなアドバイスを贈ります。
「会社辞めようかな」。一度や二度、こんな気持ちになった経験はありませんか。先輩に仕事に関して注意され、落ち込んだこともあるかもしれません。私も再三そんな気持ちになりました。
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気になるデータがあります。大学を卒業し、企業で働く若者の約3割が、入社3年目までに辞めてしまうというのです。仕事への適性や人間関係など、いろいろ理由はあるのでしょうが、残念なことです。
時間をかけなければ、見えないこと、わからないことがあります。人生の出発点に立ったばかり。自分自身を知ること、仕事を覚えることに力を注いでほしいのです。
そのためには社内はもちろん、学生時代の友人を含めた社外の人々との交流が大きな支えになります。人間関係を広げるうえで2つの視点をアドバイスします。共通するのは信頼関係です。
ひとつは、仕事で落ち込んでも、翌日には気持ちを切り替える工夫をしましょう。弱気になるのは、あなただけではありません。指摘は冷静に整理し、改善点を考えましょう。仕事への姿勢を積み重ねるなかで社内の信頼が築かれるのです。相談できる先輩や友人を大事にしてください。
もうひとつは、仕事はビジネスパートナーとの信頼関係を築くことから始まるという点です。社外にも、あなたの仕事ぶりを見ている人が必ずいます。そういう人たちを味方につけてください。
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私は若いころ「名刺で仕事をするな」という言葉を知りました。「誰にでも取材できるのはNHKという大きな組織の名刺があるからだ。勘違いするな」と。「認められ、信頼されて会ってもらえる関係を築け」という忠告でした。
その際、気をつけてきたことがあります。社会的に地位のある人物や大企業の経営者などに会うなかで、自分が偉くなったような錯覚に陥らないように注意したことです。「記者は国民の知る権利に貢献すること。自分はちっとも偉くない」
記者の仕事とあなたの仕事とは異なるかもしれません。でも、人との信頼関係を築いていくことで得られる人脈の大切さは同じではないかと考えています。
入社1年目は忙しさに流されそうになったり、同期入社に負けたくないという思いに焦ったりするかもしれません。そんなときほど「なぜこの仕事を選んだのか」と、自らに問いかけてみてください。
私はテレビで個人の意見を求められても、決して「こうだ」という結論は言いません。人々の判断材料になる情報を伝え、視聴者が自ら考えることを手伝うことが私の役割だと考えているからです。それは民主主義にかかわってくる問題だからです。
現代は「人生100年時代」といわれます。自らの働き方ややりがいを考え、転職する道も選択肢のひとつだと思います。あなた自身の人生だからこそ、出発点を大事に、考え抜いて次の一歩を選んでほしいのです。
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働き始めたら、新聞やテレビが伝える日々のニュースには敏感でいてください。国際情勢はいずれ日本の政治や経済にも影響が及んできます。会社の取引やプロジェクトにも大きく関わることでしょう。時代の行方を読み解く習慣を身につけておくことが大切です。
私は毎日、多くの新聞を読む一方、インターネットを活用して世界の情報に触れるようにしています。関心のあるテーマを定点観測する過程で、新しい動きを収集したり、深掘りしたりしながら、情報の更新と蓄積を心がけています。毎日の積み重ねが力になります。
大事なポイントは情報と情報を組み合わせ、そこからどんな変化を読み解けるかという手法にあると思います。膨大な情報から、一歩先の新たな変化をどれだけイメージできるか、シナリオ構築能力が問われます。是非、試してみてください。
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配属先が地方になって、少し残念な気分になっている新人もいるかもしれません。でも、視点を変えれば、それは仕事を知る大きなチャンスです。私自身が体験したことでもあるのです。
これまでもコラムや講演で紹介しましたが、私は大学卒業後、島根県と広島県で記者生活を送りました。もともと、地方勤務を希望していたわけですが、中国地方での記者生活がその後の東京の社会部での取材活動に大きく役立ちました。
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たとえば島根の松江放送局では、警察、検察、裁判所、市役所、県庁や日銀、農協など幅広く取材できました。東京のように記者の人数が多いわけではないので、政治、経済、社会の基本的な仕組みを学ぶ機会になりました。地方都市をサンプルに、日本の縮図を理解できたと思っています。
広島県の呉通信部にいたときは、事件取材も映像撮影もすべて1人でこなしました。大変な苦労でしたが、カメラマンの仕事をしたことで、映像制作のコツやセンスが磨かれ、いまにつながっていると思います。被爆者の取材もしたことで、いまも8月6日に広島の平和記念公園から中継する仕事に結実しました。
地方勤務は自分の知らない世界を広げ、仕事に必要な力を鍛えるチャンスといえるでしょう。東京を離れることは残念な気持ちになるかもしれませんが、初めて訪れる土地で働けるのはとても貴重な経験なのです。
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地方勤務をすると、東京だけが日本経済を支えているわけではないということも発見できます。世界から注目されるような技術力、アイデアのある有力な中小企業は地方にも多いからです。
近年は大勢の外国人観光客が地方の観光地を訪れています。地元ならではの観光地や食の魅力をテコに、新しいサービスや商品を生み出すことができるかもしれません。
私自身の体験からいえば、「人生には決して無駄な経験などない」と考えています。仕事の担当分野が変わったり、新たな取引先を開拓したり、様々な場面に遭遇するのでしょう。そんなとき、学んだこと、経験したことが将来の糧になってくれるはずです。
残念ながら、そうした人生の経験を、あらかじめマニュアル化することはできません。失敗も貴重な経験値です。
そのうえで日進月歩の技術革新に注目してください。IT(情報技術)やAI(人工知能)が進化しています。ブームではなく、経済や社会の仕組みをも変える大変革期が訪れているのです。
たとえば平成の時代には、子どもたちもあこがれる新しい職業に「ユーチューバー」が登場しました。間もなく次世代通信規格「5G」による新しいサービスも始まります。
時代の先を読むには、常に情報を捉えるアンテナを張り、感度を高めることが大切です。インターネットがこれだけ普及した時代ですから、大都市と地方都市との格差はほとんどないはずです。
技術革新の大きな波は、人生にも、仕事にも影響を及ぼすでしょう。膨大な情報からどんな意味を見つけ、新たな変化を予測できるかどうか。それはあなた自身にかかっています。大きな変化に備え経験を大事にしてほしいと思います。
[日本経済新聞朝刊2019年5月27日付と6月3日付]
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