映画『嵐電』 映画の魔を引き寄せる
鈴木卓爾監督の映画には映画好きをよろこばせるものが、いっぱいつまっている。以前はそれを際限なくわくアイデアかと思っていたが、最近では魑魅魍魎(ちみもうりょう)のたぐいではないかと思う。映画作家が真剣に映画と遊んでいると、そういうものがひきよせられてきて、画面に充満するのである。
この映画には、いまどきめずらしい8ミリ(フィルム)カメラを持った高校生が登場する。有村子午線(石田健太)なる変わった名前――この映画の主要人物はみな変わった名前だ。「このカメラ、好きなものを撮るために買ったつもりなのに、気づいたら、これで撮ったものを好きになっている……」と京都弁で述懐する彼もまた映画の魔にとりつかれている。
京都のまちを走る市街電車、嵐電(らんでん)を撮っていた子午線は、東北から修学旅行で来ていた、フィルム・カメラを持った女子高生、南天(窪瀬環)に撮影されて恋され、逃げまわるが、彼も南天を撮ってしまった。
嵐電の走るのは、映画草創期から撮影所がひしめいていたところで、いまでも東映と松竹がのこる。
シネマ・キッチンという店ではたらき、撮影所に弁当をはこぶ小倉嘉子(かこ)(大西礼芳(あやか))は、俳優、吉田譜雨(ふう)(金井浩人)の京都弁練習の相手をし、恋人たちのセリフをくりかえす……。ここにも映画の魔が忍びよる。
ライターの平岡衛星(井浦新)は、線路わきに部屋を借り、かつて妻(安部聡子)とここに旅した記憶を思いながら嵐電の流れをながめている。嵐電は流れている。まるでマノエル・デ・オリヴェイラの映画のドウロ河のように横たわって。
右にしるした3組のはなしは、愛に関するはなしではあるのだが、ありきたりなラブ・ストーリーから遠く離れた独特なかたちをしているので、怪奇譚(たん)のようでさえある。何度も見たくなる。音楽はあがた森魚。1時間54分。
★★★★★
(映画評論家 宇田川幸洋)
[日本経済新聞夕刊2019年5月24日付]
★★★★☆ 見逃せない
★★★☆☆ 見応えあり
★★☆☆☆ それなりに楽しめる
★☆☆☆☆ 話題作だけど…
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