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私の課長時代

バブル繚乱、融資合戦から距離置く 西武ホールディングス社長 後藤高志氏(上)

2019/5/14付 日本経済新聞 朝刊

■西武ホールディングスの後藤高志社長(70)は、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)芝支店(東京・港)で初めて課長になった。

執務場所の一つに「ザ・プリンス パークタワー東京」があります。その目の前に広がるエリアが約40年前の私の仕事場で、銀行マンとして融資業務にあたっていました。

後輩がある企業で手形貸付の契約を取り付け、私らが承認する段階になった時のことです。支店で昼食をとっていたところ、別の後輩が飛び込んできて「会社更生法って何ですか」と尋ねてきました。まさに審査中の会社のことをある取引先から聞いてきたのです。

取引先に確認した上で当該企業に行きました。すると運転資金として借りたいと白状しました。当初の約束は借換資金です。前提条件が違うとして融資を断りました。間を置かずに倒産したことからあのまま融資を承認していたら、我々も損をしかねませんでした。正しい判断をできたことは自信につながりましたね。

■1年半ほどで支店融資課の配属となった。

ごとう・たかし 72年(昭47年)東大経卒、第一勧業銀行(現みずほFG)入行。05年西武鉄道社長。06年から現職。東京都出身。

ある取引先のリゾートホテルの経営が気になっていました。現況を見ようと家族で泊まりましたが、報告された経営内容と見た印象がしっくりときません。

そこで後輩に実態を探れと指示を出しました。すると赤字だったことが発覚したのです。オーナーの息子が経営に関わっており、つなぎ融資を求めてきていました。ですが、私は会社をたたむことを勧めました。

息子は20代と若く、十分にやり直せます。結果的に倒産しましたが、その息子から後日、再出発したとの手紙をもらいました。「貸すも親切、貸さぬも親切」だと思っています。

■各行による融資競争が過熱した。

1980年代当時、バブルという意識はありませんでしたが、異常な取引だと思うケースは見受けられました。芝支店の管轄エリアである海岸沿いの街並みもどんどんと変わりました。

私は取引先に必要以上に貸し出さない考えでした。だから芝支店の融資目標額は他支店の6割程度の水準。本部から目をつけられましたが、押し通しました。日立製作所に勤めていた父親は上司とそりが合わず、会社を辞めました。鼻っ柱の強さは似たのかもしれません。

あのころ
1980年代、カネ余りを背景にした金融機関による融資合戦が熱を帯びた。東京・芝浦などは1区画が大きく、権利関係も複雑ではなかったため、再開発が進んだ。同エリアを含む臨海部は「ウオーターフロント」とも呼ばれバブル経済の象徴になった。

[日本経済新聞朝刊 2019年5月14日付]

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