グリーン車50年 「高根の花」も身近に手軽に
移動時間を快適に過ごせるグリーン車。旧国鉄時代の1969年5月10日の登場からちょうど50年。かつての「高根の花」も最近は気軽な利用が目立つ。変遷をたどった。
4月下旬の平日昼下がり。JR東京駅の東海道線ホームに行列ができていた。滑り込んできたのは2階建て車両。おなじみの緑のマークが側面に描かれたグリーン車だ。サラリーマン風の男性、夫婦や友人グループ。列最後尾の女性は「きょうも混んでるわね」。車内はほぼ満席だ。
JR東日本によると、東海道線の普通グリーン利用客はここ10年で4割ほど増えた。普通グリーンは座席指定はできないので、グリーン料金を支払って乗車しても座れない時があるが、全体の伸び率(約1割)を大きく上回る。
同社運輸車両部の多々良和孝課長は「追加料金を払っても混雑を避けたい、座っていきたいニーズが昔より高まっている」と分析する。湘南新宿ライン、上野東京ラインと相互直通運転が増えた影響も大きい。長距離移動の人ほど車内でのくつろぎを求めるからだ。乗車前に購入すれば平日50キロメートルまで770円。「少し背伸びすれば何とかなる範囲」と30代の男性会社員。
新幹線や特急もグリーン利用は増加傾向にあり「特別感」は薄れつつある。鉄道に詳しい旅行作家の野田隆さんも「昔はおめかしして乗るくらい特別なイメージがあったが、今はもうない」と語る。
特別感の理由はどこにあったのか。鉄道博物館(さいたま市)の奥原哲志主幹学芸員に聞いた。日本の鉄道では1872年(明治5年)の開業当初から外国にならって等級制を導入。上中下の3ランクに分け、運賃も中等が下等の2倍、上等は下等の3倍と大きな差があった。座席や内装の豪華さも全く違った。
呼び名は後に1~3等に変わり、戦前は華族や政治家、高級官僚・軍人、文化人といったいわゆる特権階級の人たちが1等車の乗客だった。戦後は身分意識が薄れ、経済格差も縮小。椅子の座り心地や冷暖房の有無など等級による設備の差もなくなってきた。
より速く割安感のある飛行機との競争も激しくなり、1等車の利用は低迷。国鉄経営の厳しさも相まって3等級は2等級になり、やがて等級によって違う運賃を一本化してテコ入れを図る。そこで1等車に代わったのが追加料金を設定したグリーン車だ。「1等のイメージを引き継ぎ、特別なものという意識はどこか残った」(奥原さん)。
かつては個室もあった新幹線のグリーン車。「窓側の席が埋まっていたら隣の通路側は予約しない」といった暗黙のルールもあったとされ、乗客層も固定されていた。
ところが最近は、ネット予約でたまったポイントでグレードアップできるシステムも登場し、客層にも変化が出てきた。30年来のヘビーユーザーという60歳代男性も「昔はもっと落ち着く雰囲気だった。最近はせわしなくパソコンに向かう人も目立つ」
50年を経て身近になってきたグリーン車。遡れば衛星放送が見られるモニターやイヤホンで音楽が楽しめるサービスが用意された時もあり、お座敷列車など「ジョイフルトレイン」はグリーン車扱いで運行されたことも。こうしたオプションは最近めっきり減ったが、ワンランク上の環境を求める声は根強い。
それに応えたのが「グランクラス」やJR九州の「DXグリーン」。従来以上に広い座席や深く倒れる背もたれなど設備を充実させた。「先祖返りしたかつての1等車に近い存在」(野田さん)だ。
豪華観光列車「ななつ星in九州」「トランスイート四季島」「トワイライトエクスプレス瑞風」も走り始めた。どこかで「高根の花」を追い求める気持ちは変わらないといったところだろうか。
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通勤向け 座席指定車続々
グリーン車の呼称の由来は「緑色の安全・快適なイメージ」「1等車の車体側面の窓の下の帯が淡い緑色」など諸説ある。国鉄と事業を継承したJRグループで主に使われる名称だが、私鉄との相互乗り入れで、特急「スーパービュー踊り子」が伊豆急行区間を走るようなケースもある。
私鉄にも独自の「1等車」はある。近畿日本鉄道は特急「アーバンライナー・ネクスト」などに「デラックスカー」を連結する。従来のグリーン車とはやや性格が異なるが、京王電鉄や西武鉄道、東急電鉄など大都市では座席指定車も相次いで登場。豪華さよりは混雑する通勤時間帯の「座りたいニーズ」に応える存在だ。
(河野俊)
[NIKKEIプラス1 2019年5月11日付]
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