運動×脳トレで認知症予防 失敗することがよい刺激に
運動に「脳トレ」を組み合わせたエクササイズがシニア世代の人気を集めている。体を動かしつつ計算したり、2つ以上の単純な動作を同時に行ったりして、認知機能低下の予防を目指す。重要なのはプログラムをうまくこなすことではなく、失敗を重ねる点にある。慣れない動きで脳に常に新しい刺激を与えるのに加え、ゲーム感覚で楽しめるのが魅力のようだ。
様々なプログラムがある中で、世界で広がるのがドイツ発祥の「ライフキネティック」だ。ライフキネティック日本支部(東京・中央)のインストラクター、中川慎司さん(39)が代表的なトレーニングを教えてくれた。まずは両手にお手玉を持つ。それぞれ同時に真上に投げる。落ちてきたら、腕を交差させて逆の手でキャッチする。
簡単に思えるが、実際にやってみるとあれれ……? 真上に放れないばかりか、両方とも手からぽろりとこぼれ落ちてしまった。中川さんは「複数の動作を同時に処理すると脳の様々な分野を刺激します。失敗しながら混乱することがむしろ良い刺激になると考えられ、常に新たな負荷を与えるのが大切。できるようになったら、次は交差する腕の上下を逆にしてみてください」と話す。
ライフキネティックは2007年に、独ミュンヘン工科大のスポーツインストラクターが脳科学の専門家らと考案。空間認識能力や反応速度の向上などが望めるとして、プロサッカーの強豪チームがトレーニングに採用したことで火がつき、英国や米国のほか、日本を含む13カ国に広がった。運動経験にかかわらず取り組めるため、高齢者施設や学校現場などでも導入されている。
4月中旬、富山市の角川介護予防センター。椅子に座った高齢者約30人がインストラクターの指示に耳を傾ける。「野菜の名前を言ったら、左手に持った布を上下に動かして。動物なら三角に」。同時に右手でお手玉をしながら、今度は足踏みも織り交ぜていく。多くの人が慣れない動きに戸惑いながらも、終始笑い声を響かせた。
同センターは17年から18年、1年間週1回のペースで受講した60~80代の男女を対象に効果を調査。記憶力や判断力を試すテストで数値の改善がみられた。2年前から受講する飲食業の女性(66)は「スポーツ感覚で楽しく続けられる。『何しにこの部屋に来たんだっけ』という物忘れが無くなった」とにっこり。主婦の女性(70)は「視野が広がり、車の運転中の感覚が変わった。歩行者の表情まで意識する余裕が出た」と実感している。
厚生労働省の12年の推計によると、認知症の前段階であるMCI(軽度認知障害)の人は約400万人に上る。加齢による脳の萎縮を抑えようと、国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)が10年に開発したのが「コグニサイズ」だ。グループで動きながら計算やしりとりなど頭の体操を同時に行う内容で、デイケア施設や病院など全国に広がり、近年はシンガポールでも実施されているという。
コグニション(認知)とエクササイズを組み合わせた造語で、MCIの高齢者を対象にした検証では認知機能の向上がみられた。同センターの島田裕之・老年学・社会科学研究センター長は「間違えば盛り上がる。コミュニケーションも認知症予防の大切な要素」と話す。こうしたプログラムを導入するスポーツジムも増え、実践の場が広がっている。
◇ ◇ ◇
運動10分でも記憶力向上 筑波大の研究グループ
近年の研究で、運動が脳に良い影響を与えることが分かってきた。わずか10分の軽い運動で記憶をつかさどる脳の海馬が刺激され、記憶力は向上する――。筑波大の征矢英昭教授(運動生化学)の研究グループは2018年、米科学アカデミー紀要でこんな論文を発表した。
大学生に10分間自転車をこぐ軽い運動をしてもらい、多くの画像を見せ、一度見た物とのわずかな違いに気づけるかテストした。運動しなかったときと脳内を比較すると、海馬の「歯状回」の活動が活発になり正答率が高まったことを突き止めた。征矢教授は「ヨガなど手軽な運動でも海馬を活性化させられる裏付けになった」と話している。
(佐藤淳一郎)
[日本経済新聞夕刊2019年5月8日付]
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。